« スガキヤのスーちゃん | トップページ | 初お白湯 »

2008年8月 2日 (土)

横浜に帰ってきた

関空からスターフライヤーで羽田に。横浜にかえってきた。

妻の実家のある千代田の駅から南海高野線で河内長野駅までひと駅、そして河内長野駅から17:00発のバスで関空へ。中学1年になった甥っ子のY矢君が一緒に来てくれたので、空港までは0歳児の晴くんを含め4人の旅だ。

関空で「たこ昌」のたこ焼きやら明石焼を、Y矢君と食べられたのは貴重な経験だった。というのは、僕が「たこ昌」の存在を知ったのは、5年以上年前、まだ小さかった彼が

「つれってってー、たこまっさー、つれてってー、たこまっさー、
大阪いくときつれてってー」

と、突然たこ昌のCMソングを歌って驚いたという話を、今は妻になったKちゃんから聞いたことにはじまる。

実際、自分は本当のCMソングを聞いたことはない。Y矢君がうたったとされるその歌をKちゃんがさらに伝え歌うかたちで、私の耳に入ったその歌の、(おそらく相当バイアスのかかったであろう)不思議なリズムと音感に、「すげー歌じゃ」と圧倒され、自分もその後たこ焼きを食べたくなったときなどにこの歌が頭の中で自動再生されていた。(実際歌っていたかもしれない・・w)

そう、私にとっての「たこ昌」は、ミステリーにつつまれた大阪のひとつのシンボルであり、かつ、それは今は中学1年生となったこのY矢君が幼い時にアレンジした歌によってそのミステリアス性を演出した存在なのだ。

えーと、まあ、それはいいとして、たこ昌、普通にとてもおいしかったです^^

飛行機の中で晴くんが激しく泣き出して、「うぅ迷惑親子になってるぅ」と少々苦しかったが、授乳で落ち着かせてなんとかしのぐことができた。離陸の時、まだ飛行機が移動中に泣きだし、私はおろおろしていたのだが、飛行機が本気モードに入ってごーっとなったとき、大騒ぎになるのではないかという予想を裏切り鳴き声が止まったのは不思議だった。不安が極限に達すると黙ってしまうということなのだろうか。

羽田についたスターフライヤーの飛行機は空港のとんでもなくはずれに止まり、そこからバスでターミナルビルに向かった。我々は乳児連れということで、他の客の迷惑にならぬよう、一番後ろに座り、その結果一番最後に飛行機を降りたところ、バスに乗り込むのは当然最後にった。すると、バスの座席はすべて埋まっており、立ってバスに乗るはめとなった。荷物を担当する私は荷物を足下に置き、吊革につかまることができたのだが、晴くんを抱いた妻のKちゃんは両手ふさがりで吊革につかまることもできない。バスは電車よりも揺れの激しい乗り物である。バスが急発進、急停止でもしたら、とんでもないことが起こるのではないかと心配した。

これには参った。スターフライヤーさんも、この部分は考えたほうがいいと思った。(その他のサービスはとてもよかったのだが)

幸い、ひとりの老紳士が自分の座っていた優先席を譲ってくれたため、Kちゃんは座ることが出来た。

「おぃ、すわりなさい・・」

突然声をかけられ最初はきょとんとしてしまったが、はっと気づき、とてもうれしくなった。感謝の気持ちと、「かっこいいなぁ」という気持ちがわきあがり、自然に自分もこのような紳士でありたいと心から思った。

ふと気づき周りを見回すと、他の優先席にはどう見ても健康そうな人々が座っていた。だが自分は彼らを責める資格はないと思っている。というのはこれまで私は正直なところ、あまり「優先席」という概念を優先する心の持ち主ではなかったからだ。横浜市営地下鉄の「全席優先」とか、実をいうと「アホクサ」ぐらいにしか思っていなった。

いや、決して自分は別に優先席に傲慢な態度で座っている人間であったわけではない。が、心の問題として、「とりあえず良い社会人としてふるまっとこうかねぇ」だとか「俺は別に席に座らず立っていても苦痛じゃないし、座りたければ君たちすわればー?」ぐらいの気持ちでそうしていただけだった。すなわち、自分はやらないものの、優先席に傍若無人な態度で座ってる健康な若者を責めるような気持ちは皆無だったというわけだ。

だが、この瞬間、心が自然に入れ替わってしまった。この老紳士の行動に「すがすがしさ」「かっこよさ」を感じ、「自分もああいうの目指すぞー」となったのだ。

「若い人は席をゆずりましょう」

学校やら何やらで、何度も刷り込まれたこのスローガン。今思えば、やっぱりスローガン刷り込み的な物には、一律反感を感じてしまうのが自分という人間であり、現代の多くの若者にもこれは当てはまるのではないかと思う。(いや、こんな部分に反感感じるのはどうよとも思うけど、お恥ずかしいことに私はそうだったんだろうと思う)

それが、今回初めて「席を譲られる嬉しさ」というものを知り、この喜びを交換することのすがすがしさを身をもって感じることができたことにより、初めて「席を譲り、譲られることの大事さがリアリティとしてわかった」ということになるのだろうか。

ま、社会基盤工学を専攻した者としての持論:

「本当に一番いけないのは、全員分席を用意しない(しようともしない)交通機関各社だ」

ということも忘れてはならないとも思うけど。

ま、とにかく、遅まきながら僕もひとつ人間として成長できましたということです。
めでたしめでたし。

« スガキヤのスーちゃん | トップページ | 初お白湯 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/34023/42054375

この記事へのトラックバック一覧です: 横浜に帰ってきた:

« スガキヤのスーちゃん | トップページ | 初お白湯 »

Haruya's Violin

2018年8月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ