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2013年5月の4件の記事

2013年5月12日 (日)

はるやViolin近況(2012後半~2013前半)

最近の我が家は、はるやのViolin練習を中心に回っている。マジで毎日がバトルだ。。
なぜこうも熱くなってしまうのか。これがスズキメソードのマジックか?

2年前、3歳のときにはじめた愛する息子とのViolin修行。

はじめは、おててをたたく練習とか、30分いい子にしている練習ぐらいで
大したことなかったのだが、最近は親子ともども必死で練習している。
よくある「厳しすぎで嫌になるパターン」にならぬよう注意を払いつつも、ついつい熱が入ってしまう。

日々試行錯誤の繰り返しだ。
自分は、仕事を早く上がって、自分のViolin練習もそっちのけで、はるやの練習を見る。
一方で当人は飽きるととたんにやる気をなくして練習をさぼる。
親の苦労は子供には一切見えないので、自然なことなのだろうが、
こっちは イライラする。熱くなる。怒鳴る。反省する。抱きしめる。
子供は  さぼる・泣く・吠える・練習する・ニコニコする・思い上がる・さぼる・・ のループ

 「ほめて育てる」

を実践したい。実践せねばと思いつつ、
ほめるとつけあがるが、なかなか芯が強いタイプであることが見えてきている彼には、
愛情を込めたスパルタ式が基本になってしまっている。うーむ。

しかし夫婦力を合わせて、そして息子本人ももちろん、家族一丸での練習の成果もあり、
やっとスズキ教本の2巻中盤まで来ることができた。

戦いの歩み:

2012年

 5月末: 1-3. こぎつねに進む
 6月頭: 1-4. むすんでひらいてに進む
 6月末: 1-5. クリスマスの歌に進む
 7月中: 1-6.かすみか雲かに進む
 7月末: 1-7. ロングロングアゴーに進む
 8月頭: 1-6. かすみか雲かに戻る
 8月中: 1-7. ロングロングアゴーに進む
 8月末: 1-8. アレグロに進む
 9月頭: 1-9. 無窮動に進む
  ?(記録なし) : 1-10. アレグレット
  ?(記録なし) :  1-11. 楽しい朝
10月末: GDurに進む
11月頭: 1-12.習作に進む
11月末: 1-13. メヌエット 1に進む
  ?(記録なし) : 1-14. メヌエット 2に進む

2013年

 1/10: 1-15.メヌエットNo3に進む。
 1/17: 1-16.楽しき農夫に進む 
 1/24: 1-17.ゴセックのガボットに進む
  2/21: 2-1. ユダスマカベウスに進む
  3/07: 2-3. 狩人の合唱に進む(ミュゼットはついでに合格)
  3/26-3/31 世界大会 in まつもと
  4/2  (5歳誕生日)
  4/?: 2-4.ロングロングアゴー(2)に進む
  4/11: 2-5.ブラームスのワルツに進む (ロングはペンディング)
  4/25: 2-6.ヘンデルのブーレに進む(2-4, 2-5 もペンディング。共鳴・4本のユダス宿題)
  5/9: 2-7.二人の擲弾兵に進む(D-mollとFの練習も宿題)

この調子ならば、確実にパパよりはうまくなるだろう。(理想的には小学生のウチに、中学受験前にパパよりうまくなってくれたらうれしい。)

ちなみに卒業録音記録からたどったパパ(自分)の子供のころの歩みは以下の通り:

パパのスズキ的歩み 

5歳で開始 (34年前)
7歳の10月(小2):前期初等科: ゴセックのガボット(1巻の最後)
8歳の 夏?(小3):  初等科: バッハのブーレ  (3巻の最後)
8歳の 2月(小3):前期中等科: ヴィヴァルディのAモール(4巻の中盤)
9歳の12月(小4):  中等科: ヴィヴァルディのGモール(5巻の中盤)
10歳の1月(小5):前期高等科: ラフォリア(6巻の中盤)
11歳    (小6):   バッハの協奏曲1番(7巻の中盤)に取り掛かるも
               受験優先のため、あきらめる。
12歳の3月(中1): 受験は終わったが、練習しないのでバッハはやっぱりあきらめる。
13歳の2月(中2): 高等科: やっと録音を送った。その後VN教室を辞めてしまいあとは独学。

ラフォリアのあと、バッハの前のどこかで2年年下の妹に抜かされている。
兄の威厳(そんなのあったのか?)を保つため平静を装ったが、実は今思えば結構あれは効いてたのかなと思う。2年ほどバイオリンから距離を置いてしまったように思える。

バイオリンの楽しさが分かったのは、中学2年で入った音楽部室内班というところで、アンサンブルをやったときから。鈴木の教本以外に、よく聞いてたヴィヴァルディの四季の楽譜なんかが転がってて、上手な先輩やチェロの人などと一緒にそういうので遊んだりする経験を経てからだった。

どこかで現在のエネルギー消費の激しいスパルタ教育をやめて、
はるやが心から音楽を楽しんで自分から練習できるようにしてやりたい。
どうしたらバイオリン楽しいと思えるだろうか。。


3巻で3rdポジションやらビブラートが出てきて、きれいな音でかっこいい曲が弾けたりすれば、もうちょっと楽しくなるかなぁ・・ 

とりあえずドッペルコンチェルトをパパと弾けたり、セカンドバイオリン弾いたりすると楽しいはずだと思う。自分はあの辺は少し楽しかった気がする。

まあ、今も楽しいと言っている時もあるか。。
自分もかすかな記憶ながら、2巻3巻4巻あたりやってるときも、多少の充実感はあったと思う。

でも、のめりこむほどの楽しさはまだ感じられていないはずだ。そこまでの楽しさがないと自主的な数時間の練習はできない。 

今彼が感じているであろう「楽しさ」は、「(それっぽく)弾けた」「できた」という達成感なのかなと思う。
「自分の出す音や音楽に酔う」ような楽しさは、もうちょっと進まないと難しいかな。。

かすかな記憶をたどると、そういえば僕は、2巻の最後のボッケリーニのメヌエットの後半でAのオクターブのフレーズのところで、E線の3の指のAの音が共鳴して響いてきれいな音がでたときが、「自分の音に酔う」の初体験だった。

やっぱり今は辛抱しつつも、今感じれる「楽しみ」である「達成感」をうまいこと最大限演出しながら、短時間・省エネルギーでできる効率のよい練習メニュー(たいていは先生の指示どおりやればよいはず)をやってあげて、あとは、音や音楽に酔える楽しさを少しずつ追求する感じで、、 やっぱりもうしばらくは、怒鳴って、泣かして、抱きしめての繰り返しなのな・・

ああ、、疲れる。。

2013年5月11日 (土)

Mozart Violin Concert No. 4 (D major)

という曲をここ3か月ほど練習している。

スズキメソード的には10巻の曲で、この曲弾けたらとりあえずイッチョマエであとは研究科でもっと上手になってねという区切りの曲ということになっている。(らしい)

子供のとき、僕はこの曲に行く前に辞めてしまったのだが、妹がこの曲をやっていた。(が妹もそこで挫折)

スズキをやめてしまった後も、中学・高校・大学・社会人通じて、何度か個人でトライしてみたこともあったのだが、4ポジ以上のハイポジが基本的にロクにできなかった僕としては、ずっと「弾ける気のしない曲」であった。

それが、ここ1年ほどの練習の成果もあり、なんとか形になってきて、晴れて来月「卒業録音しましょう」ということとなった。

さてあと1か月弱で仕上げをせねばならないのだが、
まだ速いフレーズで転びがちなので、先生には「ゆっくり弾きなさい」といつも怒られている。


家での練習では、ゆっくり弾いてると音楽に乗れずにストレスばかり感じるので、ついつい
CDやらYouTubeに合わせて気持ちよくスピーディに弾いてばかりいた。

しかし、レッスンではゆっくり弾かないと怒られるのでゆっくり弾くこととなる。
そうすると(メタルロックギターも弾いていた僕の感性的には??)音楽としての楽しみがまるで感じられずに、完全に死んだ音楽になってしまうところがもどかしい。
(先生の指摘する、音程のずれやらフレーズの甘いところがよく見えて苦痛なのもあるが)

でも、さすがにホントに先生のいうとおり、ゆっくりやらねば上達しないなぁと感じるようになったため、メトロノーム練習を開始した。

ということで本日、カチカチとメトロノームを鳴らしながら色々弾いてみてたのだが、一つ大事なことに気付いた。
本番の日、ピアノ伴奏の先生に「希望のテンポ」を伝えられないと、「事故」が起こるのではないかということ。すなわち、伴奏の先生が超スローなテンポで弾いちゃった日には、僕としても全然ノれずに、サイテーな死んだ演奏になることだ。 

ということで、自分にとってノれる速さと、弾ける速さのバランスをかんがみて、各楽章のマイ基本ビート数を計測することとした。 30分ぐらいかけて見つけた速さは以下の通り。

1楽章 Allegro         4分音符=126 (練習は120より下で)
2楽章 Andante Cantabile  4分音符=56  
3楽章 Andante grazioso 4分音符=72  
     Allegro ma non troppo  付点4分音符=92 (練習はもうちょっと落として)

とりあえずこの数字を使ってメトロノーム練習しつつ、
事前に先生やらピアノの先生に上記数値を伝えておこうかなとも思う。


ヤマハ音楽教室幼児科

最近、自分の人生、仕事と趣味のViolinと息子のViolinぐらいしかしてない気がする。すると仕事をブログには書かないので、書くことがすべViolinになってしまう。で、記事カテゴリがすべて音楽になってしまうのはつまらないので、息子のViolinネタは育児カテゴリにしてみようかと思う。

さて、本日は記念すべき日である。
3月末にこれから年中さんになる息子をヤマハ音楽教室の幼児科というやつに入れることを思い立ち、さっそく申し込んだのだが、その第1回のレッスンの日なのだ。

妻は、お金的にも負担的にもViolin以外の習いごとはもう無理!というのだが、「作曲(や指揮)」に興味のある息子に僕はぜひ鍵盤楽器をある程度できるようにしてあげたいのだ。

僕自身も小さいときから曲をつくりたいという思いがあった。しかしバイオリンしかやっていなかったので、メロディーがあると、弦でそれを再現することはできるが、和音をイメージする力が圧倒的になく、高校からギターなんかをやったりはしたが、やはり音楽全体をつくるというのは基本「無理」だった(し今も「無理」だ。ロックとか限定になる)

やっぱり鍵盤やらソルフェージュやら、そういう基礎をもってたらどんなに楽しいだろう。という憧れが僕にはあって、だから妻の反対を押し切ってでも息子に鍵盤をやらせ(てあげ)たいと思っている。

本人が作曲をしたがっているのは事実なので、これは親のあこがれの押しつけではない(はず!)。
(指揮というのは、のだめカンタービレを見せた一時的な影響なだけかもしれないが・・ 実際、色々作曲という名前のカワイイ目茶目茶演奏を良くしている)

で、妻は反対なので、土曜日の午前11:00開始という枠のヤマハ音楽教室幼児科というものに、パパが連れてゆくこととなった。

ヤマハのプログラムはあまりピアノピアノしていないくて、幼児科はリトミック・ソルフェージュ中心で、かつクラシック偏重でなくポピュラー的な要素が強いようだが、彼のしたい「作曲」も僕のしたい「作曲」もおそらく「クラシック限定」とか全くないと思うので、むしろそれでいいんじゃないかなという判断。

ピアノという深い修羅っぽい世界は、きっとそれはそれで面白いのかもしれないけど、あまり僕はピアノの音好きじゃないし、どっちかといえば、チェンバロとパイプオルガンが弾けるようになってくれたらいいなぁと思ってる。
あー。 息子がパパのいうこと聞いてくれるのは今のうちだけかもしれないが、パパのバイオリンの伴奏チェンバロやってくれたらいいなぁ。。。 パパがはるのViolinの伴奏チェンバロ弾けたらそれはそれでうれしいのだが。。

ま、とにかくそんな妄想をしている感じなので、エレクトーンという方向もありだと思ってる。
(家にいまあるのはCasioの電子ピアノだけど)

あ、そうだ。
それと、スズキメソードのバイオリンだけだと、読譜力がつかない懸念があるので、
それを補う意味も大きい。パパは未だにヘ音記号読むの四苦八苦だしね。。

ということで、本日より、はるやも鍵盤教育始まりましたってことで。今後が楽しみだ。
(幼稚園のメロディオンも最近はじまったみたいだしね)

2013年5月 5日 (日)

Violin 肩当なしに挑戦中

ゴールデンウィーク後半から、Violin の肩当なしに挑戦をはじめた。

きっかけは、なんだったかおぼえてないけど、
練習してもしても(所詮サラリーマンの趣味なので毎日は練習できてないのでそのレベルの話として)
なんかイマイチうまくならんなぁと、壁を感じていたところ、

・ハイポジの音程が狂うのは、きっと姿勢が安定していないからだろ
・姿勢を強制的に安定させるには肩当を取ってみるといいのかも
・そしたら変な姿勢ならすぐにVnが滑ったりするので、いやでもハイフェッツのような姿勢で固定されるのでは?
・姿勢が固定すれば、手の形も固定できて音程も固定してくるかも。
・そういえば、先生が半年前ぐらい、肩当なしとかやらないんですか?なんて言ってた気がする。
・さすが先生。そこまで見抜いていたに違いない。

なんていう、思考回路が働いたのが動機だ。
ということで以下のページなんかを参考に肩当なしを実践してみた。

http://orchestra.exblog.jp/4280177
http://www.sasakivn.com/werkstatt/qa/halten2.htm

うーむなるほど、やってみる価値はありそうだ。

実は、肩当なしに挑戦するのは初めてではない。
子供のころ、テレビで見るプロのソリストはみんな肩当してないということに気づいて、やってみたことがあった。が、楽器がつるつる滑って落ちそうで、できる気がしなかった。
しかし、最近は昔とは違って姿勢を意識するようになって姿勢が改善した(はずの)ため、なんかできるようなきがしたのだ。

やってみると、やっぱり最初は楽器がするする肩からすべるのだが、そのたびにびしっと左に反り返るような姿勢をしてむりくり楽器を水平に保つようにして弾いてみた。結果気を抜くとすぐに音程が狂うものの、気を抜かない限り、なんとかそこそこ弾けるし、なんだかハイポジの高音がめちゃ響きが良くなって幸せな気分になってきた。

おお、確かに肩当外すと高音の伸びがよくなるって書いてある。これはいい。

一応、ポイントとして左肩が上がって無駄な力が入らないようにということを注意してみたのがよかった気がする。

楽器にかかる重力(下方向の力)は実は所詮木なので大したことないわけで、肩に乗っていれば
ほぼゼロだ。子供のころから縦方向のモーメント(回転力)を意識してついつい顎でキツく挟んでしまっていたが、
顎を引いてよい姿勢でたっていれば、実はなんてことはない。

問題は横(ななめ)方向の回転だ。姿勢が悪いと楽器の傾斜が大きくなり、斜めに廻りがちなので、ハイフェッツ様の凛々しい立ち姿をイメージして、なりきってみる。
基本楽器を水平に挟んで、横方向の回転方向が水平になっていれば重力でに回ることもない。

ただし、ずっと反り返っての演奏では音楽にならないので、楽器が斜めになるときに備えて、まあ一応左手を使うのだが、力で支えるのではなくて変位を防止するだけの感覚でやってみる。

橋桁の耐震補強鎖
僕的には、立体交差の橋げたの下についてる耐震補強の鎖のようなイメージ。
あんな細い鎖で巨大な橋桁の重みが支えられるわけないが、あれは地震の際の横方向の変位(移動)を阻止することに意義がある。(はず。)

仮に地震で橋桁がずれて橋脚から落ちかけたときにどう支えるかという対処を考えると、大がかりな仕掛けが必要になるはずだ。しかし、地震揺れによる横移動さえ防止すれば橋は落ちないというところがポイントだ。横方向にずれる力は重力に比べて大したことがないので、それを阻止するだけの鎖はあの程度の太さで十分という寸法。
  (・・のはず。あまり勉強しなかったが、一応、大学・大学院の専攻は土木工学とか耐震工学とかなので・・・)

橋桁を楽器として、左手の支えはあの鎖程度の力でいいのだ。ということを意識して、軽く左手の支えも使えつつ
色々と弾いてみると、なんとか肩当なしでもそこそこ弾けるではないか。

しかも、ハイポジの音の響きの良さが、肩当なしだと格段に違う。。だんだん病みつきになってくる。
そして少しでも気をぬいて悪い姿勢で弾いていると音程まで不安定になるため、強制的に姿勢が正されるのも中々にいい効果だ。

あ、そうそう、あともう一つ、肩当なしにするとよさそうだなと思ったのは、
弾く弦や左手や弓の位置、・・要は、曲のダイナミクスにあわせて、
姿勢の調整が必要になりそうなこと。 肩当ありの時にくらべて、

つまり、恥じらうスズキメソード少年時代に身に着けてしまった、直立不動奏法のメンタリティを強制的にかなぐり捨てる必要が出ることだ。これは結構個人的にはバカにならない効果かもしれないと思う。

一人で弾いているときは恥じらいもなく音楽を感じて(行き過ぎはいくないかもだけど)動いて弾けるようになった僕も、まだ先生の前やら他人の前だったりすると、なんだか音楽に乗りきれず少年時代のぎこちない演奏になりがちなのだ。

で、肩当なしにすると、何がいいかというと、端的にいえば、、

「肩当なしだと、曲に合わせてダイナミックに動くための口実ができるのだ!」

  (何を言い出すかと思えば、いい年して・・)

でも・・恥ずかしがり屋なのだよ。。僕は。。誰が何と言おうと。

子供のころ、レッスンで半年に1回ぐらいやってくる

 先生 「あきおくん、ここは、ほら、もうちょっと、ランパパパーンーーってかんじで弾こうよ」
 先生 「そうだ、歌ってみましょう。 声で、 ランパパパーン!」
 僕   「・・・」 (はずかしくて 歌えない・・ うつむく)
 先生 「ランパパパーン! よ、 ラーラララーじゃなくて!」
 僕   「・・・」 (なんで そこ、ラで、パなんだろ、 こないだは リンタタターン だったのに)
 先生 「ほら、歌えないから弾けないのよ! 恥ずかしがってちゃ上手になれないわよ!」
 僕   「・・・」 (助けて・・そんな意味のわからない歌詞で歌えない・・)
 先生 「先生、あきお君が歌うまでずっとまってるから!」
 僕   「・・・」 (・・逃げ出したい・・・)

という儀式が嫌で嫌でしょうがなかった僕にとって、
男子校から理系に進みエンジニアになってしまった僕にとって、
人前でくねくねと弾くには本当は何か必然性がないといけないのだ。
 (結構、若いときは殻を壊したりもしたが、基本、殻を作るタイプ)

ということで、強制的に、ランパパパーン的になれる(に違いない)肩当外しは、僕にとって大事な気がするのだ。

肩当をつけずに楽器を構えるとき、
それは僕のにとっては、ランパパパーンでもリンタタターンでも歌える覚悟をすることを意味する。
そうだ!その覚悟をもって楽器を弾かねば音楽的にはならぬのだぁぁ!
 (ああなんて楽しいんだろう!w)

ということで、肩当なしは、僕にとってオトナのしるしなのでした。(もう意味不明)
ちゃんちゃん。


あ、最後に、もう一つ、肩当なしのいいところ。

「楽器弾く前に肩当をつけなくていいこと。」

超当たり前なんだけど、楽器弾く前の準備がワンステップが不要になるのは、ものぐさな僕にとっては結構効果あったりする。より気楽に楽器弾く気になれるよね。しまうのも楽だしさ。

ということで、ちょっと継続的にやってみようと思う。

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Haruya's Violin

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