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2016年8月 3日 (水)

第65回夏期学校(2016)

昨年に続き今年もスズキメソードの夏期学校にやってきました。Violin教室の夏合宿が7/30に終わり、7/31はヤマハJ専発表会、そして8/1に松本へ。パパ的には夏休みだというのに目が回りそうなスケジュールです。

はるやはラフォリアクラスで会場は松商学園。もう一個上のヘンデルのソナタ4番ぐらい行きたかったけどね…この2年ほどバイオリンは停滞気味・・ パパは研究科Cということで会場は市民芸術館、グループですが豊田先生のレッスンを受けられます。パパのバイオリンは仕事の波的にさらに停滞しており、今回の課題曲である以下3曲、まだ暗譜できてないです

 1. ポルディーニ(クライスラー編)/踊る人形  
 2. クライスラー/ベートーヴェンの主題によるロンディーノ
 3. バッハ/無伴奏パルティータ№3より ガヴォット

また、弦楽合奏は「シンプル・シンフォニー第1,4楽章/ブリテン」で2ndバイオリン担当となってます。あまり好きになれないタイプの曲でこちらも全然弾けてません。今年も相変わらずピンチです。


先生の顔をつぶさぬよう頑張らねば・・・ 

8/1(月) - 0日目

Piano科以外は夏期学校は明日からですが、前日入りということで松本に到着。 宿にチェックインしたあとでまずは昨年行けなかった先生オススメのジェラート屋さんにいきました。

店内ではバッハの管弦楽組曲が流れており、おお、やっぱり先生オススメのお店だと妙に納得しました。

その後松本市内で明日からの会場や駐車場をチェックし、なりゆきてきに2年前に訪れた豚さん食堂というところで晩御飯をいただきました。

明日は、午前中に体育館の軒下でいくつかHaruya's Violinのロケをしておきたいな。
7/29-30で参加した上郷森の家での夏合宿の2曲あたりを撮影しておこうか。

8/2(火) - 1日目

朝はホテルでグダグダとして(パパはサイレントバイオリンでシンプルシンフォニーの練習)、11時ごろにキッセイのホールで受付完了。午後から70周年コンサートというのがありました。

はるやは2013年の世界大会から、2014,2015ときて今年で3回目の夏期学校です。パパは1982年~1984年ごろ(よく覚えていない)に一回参加したので、今回は4回目の夏期学校なんだなぁ。そうか…30年以上あいてるのか。今年は大人のスズキなんていうことを謳い始めていましたが、やはり今年もオっちゃん生徒参加者は私以外いまのところ見当たっていません。

しかし、本日の70周年イベントというものではOB/OGも一部参加していらっしゃいました。ちなみにOB/OGの皆さんのセクションにはしっかりイスが用意されておりました。あー、ずるいー、いいなぁ・・・
40過ぎたオッちゃんでもOBでなく生徒である以上、あくまで体育館に直に座って待たねばなりません。
まぁ、いいけど~(・ω・)ノ  やっぱ体育館では体育座りするのが王道だよねってことにしときます

ズボン
でもやはりちと腰がつらいですね。
というか実を言うと、それよりももう一つ床すわりがつらい理由がありまして。
今回ベルトを忘れてきてしまったので、
体育座りをするとズボンがちょっとずれて後の人にパンツが少し見えてしまうのではないかと、
そのことをずっと気になってしまっていました。

いや、年頃の女の子などとちがって別に恥ずかしいわとかではないのですが、オッちゃんは別の意味で、すなわち変な汚いものを見せてしまって周囲を不快にしないようにという観点でやっぱりそこは気になるのです。

話がずれましたね。70周年コンサートです。

時々エックレスやらフィオッコやらを時々弾きつつ、スクリーンの映像と、司会の方のナレーションで、戦後間もない時代からスズキメソードがどうやって発展していったか歴史を振り返るというコンサート、色々考えさせられつつ楽しませていただきました。楽器弾き終わって座るたびにズボンがズレないようにドキドキしながら。

宗教でもいっかな
この式典で改めて思ったのは、やはり巷でときどき言われるようにスズキは宗教的だなということです。でも、悪い意味ではなくむしろ良い意味で。鈴木先生の著作「愛に生きる」を引用がスクリーンに流れたときにそのことを思いました。「音楽を通じで人を育て、世界をよりよいものに」という先生の理念は、やはり普遍性と輝きがあります。だからこそ世界に受け入れられてこれだけ広がったのかなと。そして、その理念はもう音楽という範囲は通り過ぎて、人の生き方、人間社会のあるべき姿にまで言及しており、そのための「教育」の形を規定している。そして実践としての日々の繰り返し練習(修行・苦行)…  なんと宗教的なんでしょう!

無論スズキは宗教ではないのですが、仮に宗教であると捉えてみたときにも「もう信者でいいや」と思ってしまったのが今回の私の中での変化です。

ちなみに私自身は全然敬虔ではない信者です。巷にあふれるいろんなスズキ批判についても個々については結構なるほどと思ってるし、ヤマハ音楽教室にも息子をいれています。また「スズキコンプレックス」とでもいうんでしょうか。中高の弦楽的部活で出会った非スズキの仲間との付き合いの中で、「スズキであること」を恥ずかしく思うメンタリティが形成されてもいて、実をいうとやはりそれは今でも引きずっています。じっさい楽器屋で試しびきするときには、スズキの教本はつい避けて弾いてしまいます。

私の母も(短期間ながら)スズキでバイオリンをやり、私と妹もそれをやり、息子にやらせているという事実がそこにありますが、母や私や妹がというところまでは私の意思ではありません。私の意思でスズキに参加しているのは息子を入れた時からの話。しかも、それは「まぁ、他をよく知らないし、スズキでいっかな」という惰性的なところも多分にありましたし、それで訪れた地元の先生がたまたま「バイオリン指導者としてすぐれている」と思えたこと。それがすべてです。即ちこういってしまうと寂しいですが経済合理性の中での判断です。

でも、今回70周年記念コンサートで体育館で立ったり座ったりしながら思ったのは、私や私の家族がなんだかんだいって信者だと思うし、これからも信者でい続けよう、息子にもそれを継いでもらっていいかなということでした。
スクリーンに流れる映像を見ながらドッペルやら何やらを弾いたり立ったり座ったりしていたら、「教義」である「音楽を通じて立派な人間になろう。」というものに全面賛成だよなぁ、ということを再認識したのかもしれません。まあ、まるで教会で牧師さんの話を聞きながら賛美歌を歌ったり立ったり座ったりするのと似てますね、多少洗脳されたのかもしれません。

ちなみに、もしこの「宗教」が、故鈴木先生個人を教祖として個人崇拝するようなものあるとそれはオウム的で北朝鮮的な匂いが漂ってしまいます。時々そういう風にもとらえられてしまう演出になってしまっている部分もあり、そこは残念に思ったのですが、そういう部分については、組織運営上どうしても求心力的なものが必要なんだろうなぁと流すことにしていますし、その部分をどう自分の中で認めたかというと、鈴木先生が人生をかけて築き育てた普遍的で共感できる理念を柱に一緒に音楽・人生・社会というものと向きあい、信じて生きてゆこうよという話ととらえれば、決して不健全なことではないとそのように脳内で処理しました。

私の中にはこれまでもおそらくこれからも、鈴木先生に対する不信の部分もあります。神様だとは思っていません。私が小学生のときに参加した夏期学校で、一緒に参加していた同じ教室の(かわいい)同級生の女の子から「アイス食べてたら、鈴木先生に『ちょっとちょうだい』って言われて舐められたの。うれしい!」という話を聞いて、「えぇぇ!なにそれ!?」と驚いた経験がある以上覆りようがありません。それにスズキコンプレックスに(多少)悩んだりもしましたし、色々な人が書いている批判にも一理あるとおもうからです。でも、それはそれでいいんです。

今回の式典で改めて認識できたのは、鈴木鎮一という人物が、当時からすれば途方もない壮大なビジョン・夢を描き、共感を集めて、それを実現していったんだなぁということ。たとえば、どうやってカザルス連れてきたのかなぁとか想像したりしながら映像を見ていたわけですが、それぞれ大変なことですよね。しかし、そういう一つ一つのことを丁寧に積み重ねて、このスズキメソードという巨大なものをおつくりになったわけで、なるほど、それはやはりスゴイし尊敬・賞賛に値するよなぁ・・と、素直に認めて良いのではないかと思ったわけです。

そりゃこれだけ大規模なものに育ったわけで、その過程で内外で色んな摩擦はあったんだと思います。キレイごとだけではないでしょう。色々な批判が生まれるのも当然。そこのミクロな部分に焦点をあてればボロは出るでしょう。しかしマクロにとらえれたとき、子供たち、指導者たち、保護者達を引っ張ってきたリーダシップや組織を拡大していった経営の力も普通にスゴイよねと思うわけです。

コンサートを見た後、われらがM先生オススメのイタリアンでディナーをいただきホテルに戻りました。

8/3(水) - 2日目

昨晩は、上記動画の編集やら、スズキについて思ったことなどの作文などしてるうちに夜更かしをしてしましいました。結果朝非常につらく、朝食食べられませんでした。また市内渋滞が思ったより悪く、レッスンにもチョイ遅刻してしましました。 誰が見るか分からないブログでは、自分のことは自由にかけますが、他者のことを書くときは気を使わねばなりません。一方で自分の想いにも正直でありたい。そういうことで、どうしても書くのに時間がかかってしまう・・

そういう訳で、本日の分は余り悩まないように、内容薄めで、うわべだけ書きたく思います。

午前中は豊田先生のレッスン。しかし先生は数日前にお怪我をなさったということで、本日の最初だけということで、ロンディーノだけ1時間強のレッスンでした。
そして驚いたことに、レッスンの約99%は「この曲をどう感じるか」「クライスラーの音をどう感じるか」「クライスラーはどんな人だったのか」といったお話でした。

研究科Cともなるとやはり…という部分もあるし、このロンディーノというただ弾くだけなら簡単な曲ということもあるし、ですが、
とにかく「音楽をどのように表現するのか」ということに焦点をあてたレッスンでした。

・・・あ、うわべだけにしないとね・・・ ホント、色々書きたいのだけど、明日があるので、うわべだけにします。

クライスラー自身の演奏を聞いて、「感じた事」を言葉にしてみようというレッスンです。
お恥ずかしながら、私は最初「あ、そこそう弾くのね」、へーそこ音切るんだ・・・、グリッサンドかぁとか、リズミカルだなぁ、3拍子だなぁとか、そういうまさにウワベしか聞けませんでした。

先生は「音楽はまず感じるところから」「心からのエネルギー」というお話にはじまり、色々なヒントをくれました。
先生は以下のようなものを感じるとのこと:

・やさしさ、暖かさ
・規律、平均感覚、気品、品格
・音のハリ、前へ前へと進む発展性
・ユーモア: 来たと思ったら、隠れてしまうような
・呼吸・休符の音楽
・克明さ、歯切れの良さ:どんなピアノでもはっきりしている。 
・おいしそうな音。生命感。しかし節度もある

etc...書ききれないほどのお話

音楽を聞いて、何を感じるかが、これだけ違えば、そりゃ奏でる音楽も変わってくるわなぁと大きくうなずきました。

自分が感じたものがいかにウワベだけの貧弱なものであるか、思い知りました。そんなものしか感じていない中で
何を弾いても聞き手に何も伝わるわけない…
ふと自分の演奏を撮った動画が頭に浮かびました。
「はーい、いい年こいて頑張ってまーす。素人の割には、そこそこ弾けてるでしょ? 」
ぐらいしか伝わりようがないですね…

そんなもの受け取った聞き手は良くて「まあね。いいんじゃない?結構ガンバてるね」ぐらいしか反応しようがない。

曲を弾く前に、どうひきたいか感じて言葉にするなどして固めておくこと。
確かに「音楽」を奏でるため、つまり聞き手に伝わる表現を実現する
ためには必須なのかなと思いました。

実は先生、結構お怪我ひどそうななかかなり無理をしていらっしゃっていた様子でした。
しかし「これからのスズキのことを思って、これだけは伝えておきたいから」
ということをおっしゃってこのレッスンでした。

なるほどなぁ…

…って、そろそろねなきゃ、あとはもっとウワベだけ、

お昼は家族合流してサイゼリア。

その後午後は私は弦楽アンサンブルでシンプルシンフォニーの練習、
はるやたちは午後のコンサートをききます。

やっぱアンサンブルは楽しいな。聞いてただけじゃあまり
好きになれなかったこの曲も、ひいてたら楽しくなってきたよ。

夜のコンサート:
 ・宮田大さんのチェロ
 ・荻原尚子さんのバイオリン
    ヘンデルのソナタ4番よかった
    
 ・セロ弾きのゴーシュ
    夏期学校というオーディエンスにぴったりの「なるほど!」と思うステージ。
    ⇒ はるやの食いつきも、めちゃいい。
    お話の中に音楽を織り交ぜると、音楽がスンナリ入ってくる。
    (お恥ずかしながら私自身もです)
    
    やっぱり知らない曲はなかなかとっつきづらいし眠くなるのが
    一般的なコンサートというものなのかなと思う。けど「物語」が入ると
    その力学が崩れて、情景から音楽が入ってくるので、スンナリ楽しめてしまう。
    
    こういうのもっと世の中に沢山あったらいいなぁ

やばい、ねます。


8/4(木) - 3日目

正岡先生

弦楽A


8/5(金) - 4日目(最終日)

正岡先生

アルプス公園

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コメント

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私は子供に芸術家、演奏家、音楽家に加えて、アマチュア音楽家という域がある。
そこを目指せ、、音に命ありに加えて、音に色あり、聞いたものの色合をイメージできるように、
気持ちに沿って色合が変わることを実感できるといいなあ、、と思います。
藍にはいろいろな種類、浅葱とか黒紺とか、、といいますが、高さを求める環境を意識して、、と思うのですが、、音楽が世界を救う、良き愛好者があって、芸術家の存在だといいますが、、、
猿真似か与えられたままを超えるか、本人次第だけではない、環境なのでしょうね。
スズキの世界に豊田先生あり、、とても嬉しいことです。意味あることです。

コメントありがとうございます。

豊田先生は、まさにそういう講義をしてくださいました。ある意味では音楽という芸術に向き合う上での当たり前のことをおっしゃっただけなのかもしれません。が、私含めた夏期学校参加の研究科Cの生徒たちの多くにとって、それは当たり前になっていなかった。それが事実だと思います。

一つの音楽を聴いて、そこからあれだけの言葉が出てくるということ。私はそのことに「一般人と芸術家の差」を感じました。まさに、私のような一般人だと青という言葉しか脳内で認識せずに「青で弾けばいいんでしょ」と弾いてしまう。 

豊田先生のレッスンのあとで、アンサンブルご指導をされた印田先生が「みんな、本を読んでるかい?」「本を読まない今時の子は、ボキャブラリー不足が心配だ」「言葉が豊かでないと、あの質問にうまく答えられないだろ?」ということをおっしゃって、なるほどと思いました。 藍・紺という言葉を知らない人間はやっぱりイメージを固めるプロセスでどうしても不利になる。「紺から藍に変わってゆくイメージで」というような表現は「青」という単語しかしらない人間には難しい。

実際に、豊田先生が私たち生徒に「何を感じたか?」「あなたはどう弾きたいか?」という問いかけをされたときに、私たちが出せた「こたえ」は「おどっているように」だとか「たのしそう」とか、スズキの教本や初等のクラスで子供たちが習うような「無難」で「教科書的」なものが多かった。(私も含め)

「音楽的には中級品の大量生産システム」とか「猿まね」というようなスズキ批判がありますが、私個人は一人の子供の親として、いくつかのジュニア音楽コンクールを見てきた中で、残念ながら認めねばならない部分は多いかと感じています。「幼児の人格形成こそがスズキの神髄。音楽的にはそんなもんでしょ?」といって開き直るのは簡単ですが、そんな寂しいことはない。音に座禅し、クライスラー、カザルスを本気で目指し続けたからこそのスズキであり、その結晶のひとつが豊田先生だったのではないかと私は考えます。

まぁ、その辺はともかくとして、研究科Cレベルの生徒たちには、「猿まね」などと批判されることない「芸術」としての演奏をめざしてほしいというのは、指導者も親たちも共通の想いかと思います。

しかし、それをどう実現するのか。 「こういうイメージで弾いてみたらどうかな?」 という教え方だけでは「猿まね」を脱することはできない。生徒たちの内発的な芸術としての「表現」をどう実現するのか。

私の想像でしかありませんが、だからこそ、音楽を「どう感じたらよいのか」を例示し、「感じる」ことを実践させ、「どう表現するのか」を考えさせ、「言葉にする」というプロセス、そしてそれを「皆の前で自発的に発表する」という積極性を引き出す。そういうレッスンだったのだと思いました。 

実際、豊田先生の問いかけに、はじめ誰も手があがらず、アシスタント先生が「じゃあ順番に一人ずつ発表しましょうか」と言った時、先生は「いや、それはやめよう。手を挙げてもらいたいんだ」と仰った。

私の想像でしかありませんが、「今のスズキにかけてしまっているもの」の問題提起と解の提案だったのではないかと感じました。

・・・なーんて色々書いちゃいましたが、 お恥ずかしいことに、私は練習不足で、暗譜が甘くボウイングとポジションを必死に思い出しながら、ポジション移動での音程ずれにビクビクしながらの演奏しかできなかったダメな奴です。

豊田先生のこれだけは伝えておきたい、、うわべ滑りとの言い訳あってもよい講義であったことが覗えます。書ききれないほど、、といわず、教えていただきたいものと思います。
偶々あるCDの解説に『私たち演奏家は音楽学者ではないが、作曲家と楽譜を通して向き合う時間は、しばしば長い年月を経ることになる。という1節がありましたが、楽譜を読み、作曲家の意図を音物語にする行為、あおという色を青,藍、紺、のどの音、前後の音譜のつながり、形式性などは読み手(演奏家)為すところでしょうが、ゆえに初演の意義があるのでしょうが、豊田先生は音楽の持つ
芸術性の解釈の視点、捉え方を講義なされたように推察しました。
鈴木先生は音楽を通して、幼児の人格形成、清く、正しく、賢く、、、脳みその進化形成を心眼となさり
豊田先生は音楽性を高めて、結果人間性が高まる、音楽教育の真髄を教示の源となされ、2人に違いあり、、と感じられます。
曲想をイメージすることはとても大切なことです。幼児教育にとって先に言葉ありき、なのか音作りをしての感性か、これ先生次第?

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