カテゴリー「映画・テレビ」の5件の記事

2009年2月14日 (土)

24とチャングム

最近会社の同僚の人にDVDを借りて、24(Twenty Four) をシーズン1から見ている。
1年ぐらい前にCATVのFOXでシーズン4をやってたのをたまたまみて、ハマってしまったのだが、たまたま、先日そのことを年末の飲み会で話したら、「DVD全巻もってるよー、かすよー」なんていうことになり、ありがたくお借りして、楽しませてもらってる。

問題は、見始めると余りにもハマってしまい、夫婦ともに、はるくん(0歳児子供)のことそっちのけになってしまうこと。

まあ、彼も親のことそっちのけで、家中をひっかきまわし放題、いたずらし放題なのだがw

拷問やら人殺しシーンも結構あるので、彼がもう少し大きくなっちゃうと、こういう風には見られないなぁなんて思いつつね^^

ついでに、先日実家に帰ったときに、チャングムを第1話から見てしまい、こちらもハマってしまった。

これまで、途中からみて、だいたいひととおり話はしってるのだが、あらためて第1話から見ると、また、別のはまり方をしてしまう。
すごいもんだ。

2008年12月31日 (水)

孤独が広がる時世と紅白歌合戦

大阪、妻の実家で紅白歌合戦をちょっとだけみた。
妻方の親戚の誰もが「別にみたくない」というスタンスだったのだが、
10:30ごろから1時間ちょっと見てしまった。

ゆく年くる年を見たいけれど、それまで別のことをしていると
ついつい見逃しそうだったので、しょうがないのでテレビをつけていた感じだ。

コタツに寝っ転がって、
「あー、つまんねぇ。 あ、また音程はずれた」
「うぁ。痛い演出だ。」
なんていう感じで、
そんなネガティブな視点でしか番組をみられなくなっている自分に
少し嫌気がさしつつ、やっぱり、それは自分のせいじゃなくて、
番組が悪いんじゃないかなんて思いつつ、せっかくの年越しに
こんな気分になっている自分が少しいやになりつつ・・

チャンネルを変えると、
さらに輪をかけてどうしようもない番組しかやっていない。

とそこに、救世主登場。 
誰かが新聞を持ってきてくれた。
毎日新聞だった。

さっそく1面から読んでみた。

トップには「孤独の岸辺1」と書かれた記事があり、
僕と同じ世代の「ひきこもり」「失業」それに伴う「経済的、心理的窮地」
などの話を「孤独」というキーワードで描いていた。

何かの事件や発表ではなく、リアルタイム性のない記事が1面トップに
きていることに違和感を感じつつも、記事に登場する数名の抱える
それぞれの「孤独」を読み、「どうにかならないものか」と思った。

別にヒトゴトではない。
確かに今自分は結婚し、子供もでき、今、家族・親戚と一緒に
紅白歌合戦なんかを見ていて、「孤独」とは程遠い状態にいる。

でも、大学時代の一時期、
軽い挫折が重なって3か月ほど引きこもっていたこともあるし、
つい2-3年前までは漠然とした不安と「孤独」が
時々発作のように訪れたりもしていた。

記事にあるほどの深刻な「孤独」を経験したことはないけれど、
当事者たちの「孤独」をある程度まで想像し共感することはできた。


ふと、目の前にいる9か月の息子の無邪気な笑顔が気になった。

18年後の彼が同じような「孤独」に襲われたとき、
18年後の僕が何ができるのか?
今の彼の、曇りない無邪気な笑顔を守ってあげられるだろうか?
いや、絶対に守りたい。それが自分の使命だ。

そんな風なことをあれこれ考えた。

その間も相変わらず、テレビでは派手に着飾った人々による、
豪華な舞台の上での、全く共感のできないような歌や踊りと、
彼らの中での、お互いの賛美が垂れ流されていた。

手元の新聞記事と、NHKの電波でTVから垂れ流れている
芸能界の馴れ合い番組のコントラストが鮮やかだ。

 #NHKの司会者も、いい加減「大変盛り上がっております」
 #とかいうセリフを使うのはやめようよ。と思う。
 #なんか、痛いよ・・ 


この番組は、孤独な彼等を救えるのだろうか?

答えは明らかだ。
その賛美や喜びの輪の中にいない、入れない人々
にとってのこの番組は、疎外感を味あわせる番組でしかない。

そこに近年の紅白の凋落の一因を見た気がする。


昔の紅白はきっと違ったのだろう。
きっと歌手も芸能人も、あらゆる境遇の日本人に
勇気や力を与えていたんじゃないだろうか。

テレビができて間もない時代の日本人は、
おそらく、テレビや歌番組というものを無邪気に
楽しめたはずだ。

 「こいつは、面白いことをいう」
 「! これはすごい歌だ。」

そこから「ほんじゃ、俺も来年はいっちょがんばるか」
なんていう気持ちになれたんじゃないだろうか。

でも、今は違う。

現代の視聴者である我々は、テレビの中にいる人々がみな
「成功者」「勝ち組」であることがわかっている。
するとテレビは、「孤独」な「負け組」である自分を
鮮やかなコントラストで浮き彫りにするだけの装置となる危険性と
常に背中合わせとなる。

紅白の視聴率低下、テレビというメディアの
地盤沈下をどうするか考えるのならば、
番組づくりにおいて、この力学を上手に処理する仕掛けが必要であろう。
いや、それは「仕掛け」というような表層的なものであってはならず、
作り手の「想い」の中に滲まねばならぬ類のものなのかもしれないが。


実際、我が家では、
「この人の衣装、ひどいわねぇ」だとか、
「紅白もイヨイヨ末期だな」だとか、
「そこにマーティフリードマンかよ!」だとか、
まあ、なんだかんだいって、家族の会話の触媒装置として
なんとか紅白は機能した。
しかしその触媒はネガティブな会話しか産んではくれなかった。

もっと、
「うぁ、すごいなこの人」だとか、
「ほぅ・・考えたねえ、この演出」だとか、
「! (言葉を失う)」だとか、
そういう反応をしたい。

それに、歌番組なんだから、やっぱり、
生半可な努力では達成しえないプロの歌手ならではの
「歌の力」を見せてほしい。

sakusakuに出てくる歌手たち、バンドたちからは、
彼等の純粋な想いやエネルギーが伝わってくる。
しかし、今の紅白のから伝わってくるのは、
NHKや一部既得権益芸能人とその取り巻きたちからの
どろっとしたいやらしい空気しか伝わってこない。

極めつけは、
「がんばれニッポンのサラリーマン」
だかなんだかいう歌詞(妻いわく島田伸介が考えたらしい)
のへたくそな歌だった。

「ふざけんな。
  お前らに言われたくない。」

そう感じるのは、自分が病んでいるからなのだろうか?
これは普通の感覚ではないだろうか?

10年前の「リゲイン」のコマーシャルは理解できた。
ちゃんと、ビジネスマン風の格好をして、「共感」を呼ぶための装置が
コミカルに「元気」を演出できていた。

が、これはあかんだろ。

「がんばれ」というメッセージを本当に伝えるためには、
「がんばれ」という歌詞を歌えばいいってもんじゃない。

まあ、いいや。

んで、そうこうしているうちに、11:45となり、
お目当ての「ゆく年くる年」が始まった。

悠久の時を超えて伝えられた仏像のやすらかな表情。
荘厳ながら静謐な寺社仏閣の佇まい。
祈りを捧げる僧侶。

新聞に出ていた孤独な人々を救うことができるのは、
彼等なのかもしれない。

そんなことを想いながら、私の2008年はくれてゆきました。


2008年9月22日 (月)

テレビについて思うこと(sakusaku万歳!)

以前、「テレビなんて下らんもの、俺は全然見ないぞ!」的なことを書いたことがあった。が、今回は、それを一部取り下げたい。

というのは、最近2つのTV番組を見ているからだ。

ひとつは、CATVのミステリチャンネルやNHK BS2などでやってる探偵もの「名探偵モンク」シリーズ。今は火曜日の11時ごろにBS2でシーズン6?ぐらいをやってて、水曜7:00頃からミステリチャンネルでシーズン2をやっているのだが、番組をみるために会社から早く帰ろうとしたり、ギリギリなときは駅からタクシーに乗っちゃうぐらいの力の入れようだ。

こちらは、実をいうと1年以上前からファンになってしまっているのだが、アメリカのドラマの輸入ということで、日本のテレビ界を全否定していた自分と矛盾するものではない。

さて、今回書きたいのはもうひとつの番組。この番組を「愛して」しまってから、このたび私は「日本のテレビ界全否定」を取り下げなければならないと感じているのだ。

その番組は、我らが神奈川を代表する地方局であるTVKが放つ(8年も前からやってたらしいが)sakusakuという音楽?番組

1か月ほど前に何気なく見たらハマってしまい、その後過去ログをYou Tubeで追ったり、携帯で公式サイトに訪れちゃったり・・と、今の自分は、いわゆる「番組ファン」っていうやつになってしまった感すらある。全く不覚である(笑)。

このsakusakuという番組、すでに数年前からサブカル界(?)を風靡していた番組ということで、正直なところ私は「遅ればせながら」でありいまさらブログに書くのも少々気恥ずかしいのだが、それより「僕もサクサカ―になりました」的宣言をしたいという欲求が勝ってしまった。

はじめは、ヴィンちゃんの尖ったトークと、番組の合間に入るファミコンの効果音(ディスクシステムなつかしー^^)に親近感をもったことがとっかかりだった。が、その後、繰り広げられるトークや紹介される音楽、手作り的な番組構成の奥に見え隠れする「作り手の素敵な気持ち」が感じ取れ、その結果「この番組をみることを習慣化することが心地よい」という判断に至ったのだ。

毎朝7:30-8:00にやっているというのも非常によい。平日朝というサラリーマンにとっちゃ一番憂鬱な時間にちょっぴりわくわくだとかあははだとか、一日を生きる元気をくれる機能を果たしてくれるのは重要なことだ。しかも、これは推測でしかないが、番組サイトにある「彼」の「つぶやき」を読んでいたら、これはおそらく偶然ではなく、番組の「つくりて」である「彼」やそのまわりの人たちによる「設計」であり「僕ら視聴者に対する”もてなし”」なのだろうと僕には感じられるのだ。

そんなこんなで、

「楽しい番組をありがとう。」

「なんらかの形でお返しがしたい。(i-modeのマイメニュー登録とかDVD購入とか)」

私は、この番組に対し、そんな気持ちにすらなってしまったのだ。

人間不思議なもので、何かが好きになったら、その周辺の物事もまとめて評価が上がってしまったりする。ここんところ音楽から完全に遠ざかっていた&昔も洋楽ばっかりで邦楽は(筋肉少女帯等一部をのぞき)ほとんど聞かなかったのだが、この番組のせいで最近の日本の音楽シーンにも興味が湧いてきてしまった。

フジテレビをはじめとする全国民放局に辟易してテレビを全否定してしまっていたが、このsakusakuをはじめ、地方局はなんだか楽しいかもしれないなぁと感じなくもない。(北海道の「水曜どうでしょう」とかも^^)

なぜだろう?

思うに、おそらく、これら番組は、つくり手の「驕り」や「いやらしさ」が感じられず、純粋に「楽しい番組にしよう」としている感じが伝わってくるのが「心地よい」んだろうと思う。

逆にいえば、今のテレビをつまらなくさせている大きな原因は、発信側の人間(の一部かもしれないが)に「驕り」や「いやらしさ」が見え隠れして、見ていて「不快」だからなんだろう。

大物芸能人を中心としたヒエラルキーやら芸能界の力関係を前提としたトーク、セレブ自慢話・・ そこに感じ取られてしまうのは「芸能界・マスメディアこそが至高な存在で、その他の一般人は下等な存在である」とでもいうべき空気なのではないだろうか。

一般的なサラリーマンに落ち着いてしまっている自分からすれば「ひがみ」的感情も(認めたくはないが)ゼロではないと思う。が、そういうのを差し引いたとしたとしても、若手芸人が大物に気をつかってたりするのを見るのは、やっぱり面白くはない。(んなのみるのは会社だけで十分w)

あ、dejavu感じるぞ。

そうだ、大学時代のバンドサークル内でのコミュニケーションだ。

いつもそうだったわけではないが、ときどきそのサークル内のコミュニケーション場が、

「面白いこと言えて、目立ってなんぼ、埋もれる奴に人権なし」

的な力学に支配されていることがあった。別にそこで自分が「埋もれて人権剥奪状態」になったわけではないが、その「場」って決して心地良いものではなく、楽しくもない(表面的には楽しそうに見えるのだが)ものだったことを思い出した。

その場を支配する力学は「競争」であり、「弱肉強食」の緊迫したムードの中、決してリラックスできるものではない。

日々退屈な人生を漫然と生きていて「もっと刺激がほしい」という人種には面白いのかもしれないが、 仕事や子育てで日々競争、日々緊張、日々格闘している人間にはオーバーストレス源でしかない。

だいぶ話がずれてしまった。話をもどそう。

とにかく、この手の「不快感」はもう私の中ではどうにもならないぐらい、全国民放各社とリンクしてしまっていて、できることなら、テレビのリモコンはNHKとTVKとCATVしか映らないように設定してしまいたいぐらいだ。(チャンネル探すの面倒だから)

全国系民放でも時々いい番組もあるし、まじめに熱意や使命感をもって視聴者への価値提供考えながら番組を作っているひともいるのだとは思う。だけど、全国系民放にチャンネルをあわせたとき「不快な思い」をする確率が20%ぐらいある現状では、チャンネルを合わせることがためらわれてしまう。わざわざテレビつけていやな気持になるのは馬鹿らしいからね。(そんな暇あったらほかのことしたい)

まあいいや、とにかく、sakusakuという番組に遅ればせながら出会えて、僕は幸せですということです。日本のTVも、地方局はまだイケる可能性あるかもってことに気づいたということです。

明日も7:30からちゃんとsakusaku見たいのでそろそろ寝よーっと^^

2008年6月20日 (金)

ダビング10でのBDメディア補償金に関する不安

なんだか、世の中ダビング10とかで騒がしいようだが、
正直なところあまり興味がなかった。
というのは、テレビ番組なんか別にどっかにダビングしたいなんて考えないからだ。

だが、なんだか今日の「ダビング10がまとまりそうだ」というニュースを読んで少し不安になった。というのは「補償金」なるふざけたお金がBDメディアに課されるということが書いてあったからだ。

なんだその「補償金」って。すっげー意味不明。

自分、先日子供の成長をHDビデオでとったものをBDで保管するべくBDドライブを入手したところだ。BDメディアがこれから安くなるのを期待してのことだ。

用途は完全に、自分がHDカメラで撮った映像の保管用。くだらんテレビ番組なぞダビング1回どころか、そもそも保存する気にもならない。(VHSレコーダすらないし、買う予定も今のところない)

これからBDメディアに補償金が課されるようになるってことは、
子供を撮ったフルHD映像の保存のためにBDメディア買うと、
全く関係のない、くっだらないテレビ番組つくってるやつらや、
JASRACをはじめとする著作権管理団体のところに
税金のように金がとられるってことか?

だとしたら、ものすごく腹がたつ。
ナニサマのつもりなんだろう。
やっぱり著作権系の団体は、よくいわれているように
邪悪な社会のゴミのような連中だということか?

DVDの世界では、映像用、データ用なんていう風にメディアを分けて売って
映像用のみに補償金がかかるようだが、BDの場合も同じようになるのだろうか?
また、もしそうなったとき、自分の撮った子供の映像を社会ゴミにお金の流れない
「データ用」で保存したとき、リビングのPS3で再生して家族みんなで大画面で見ることができるのだろうか?

ちょっとWebでしらべてみたのだが、今のところビンゴな情報がみつからない。

とにかく自分のような立場の(BDの利用として子供の記録とその鑑賞にしか興味のない)者からすると、地デジレコーダへの課金はいくらやってもらってもいいけど、メディア課金はやめてほしいということ。

意味不明ってこと。許せないってこと。

2007年7月 3日 (火)

名探偵モンク

なにぃぃーー!

本日発見した事実!
なんと、BSで名探偵モンクのシーズン4を
毎週やっていたらしい!

ミステリチャンネルで名探偵モンクなるものに
出会ったのが約半年前。

一度見てなんというか、楽しくてハマッてしまい、
その頃、毎週水曜日の10時はモンクと決めていた。

ミステリチャンネルのシーズン1放映は
数ヶ月前におわってしまったのだけど、
最近始まったシーズン1再放送は
欠かさず見ようと思っている。

さて、ミステリチャンネルでやっていたのは、
シーズン1なんだけど、実は以前ネットで調べたら、
数年前にNHKで、より先のシーズンもやっていたことが判明。
たいそう悔しい思いをした。

まあ、それはそれ、過ぎたことと思って
ミステリチャンネルでのシーズン2以降の放映を楽しみに
していたところだった。

が、しかーーし!

本日発見してしまったのだ。
BS2でシーズン4再放送なんてのをやってたのね・・
今日は第14回。 最後から2回目・・ ;;(ショボーン)

でも、2回だけでも見れるのが幸せ!

わくわく、楽しみだなぁ^^

Haruya's Violin

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