車購入記
ここ数週間のPRIVATEの楽しみは、自動車購入である。
2005年は、自分にとって大きな買い物をしまくる年だった。
4月に集合住宅購入、12月に自動車購入である。
「家は新築、車は新車」
ここには書かないが、とある深いこだわりから、
金はかけても「新」というところにこだわってみた。
さて、自動車について書こう。
この1ヶ月ほど悩んだ末に決まった私の結論は以下のとおり。
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車種:CIVIC HYBRID MX
トランスミッション:CVT
メーカーオプション:ナビ・VSA・スマートキー
ディーラーオプション:エアロパーツ一式
外装色 : スーパープラチナ・メタリック
内装色 : ブルー
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総額 320万円弱
すげー、俺、強気だよ・・5年ローンだけどねw
#まあ、住宅35年ローンに比べたら、ちょろいもんさ(マジカ?)
しかし、1年前の自分に、この車を選ぶことは想像だにすることは
できなかっただろう。
なぜこの男はこういう選択をしたのか?
まずは、自分と自動車についてちょっと振り返ってみよう。
私の運転歴
自分が免許を取ったのは、18歳のとき、
大学に入って、半年後の夏休みだったなぁ
つまり1992年の夏だ。
教習所を出て、ひとりではじめて運転した車は、日産のスタンザという車だった。
両親のものだったけど、そのとき家族で日本にいるのは、俺だけだったから
完全俺専用の車だった。
そのとき、ばあちゃんが川崎市麻生区の病院に入院していて、
お見舞いに行くのがマイ・ファースト・ドライブ・タスクだった。
カーブのたびに、「藪から子供がとびだしたら、どうしよう。」
などと、どきどきしながらの運転だった。
その後、井の頭通りで衝突事故を起こして
その車は廃車にしてしまった。
確か1993年、秋か冬ぐらいの話だ。
過失配分は相手が8割、当方2割だったので、
受け取った保険金と両親の貯金を資金に、中古のローレルを購入した。
そのころ自分はマニュアル車に乗りたくてたまらなくかったので、
マニュアル車を買った。
日本にいない親を電話で適当に説得して、決めてしまったのだ。
#思えば、ある意味、今回の自動車購入は、自分にとって、微妙に
#初めての経験ではないことになる。が、自分の金で買う
#買い物というものは、ぜんぜん違うものだと思う。
その後、自宅の自動車はATローレル→ATセフィーロと変わり
現在に至っている。
昔ほしかった車」
20代のころは、買うなら絶対、ぼろぼろ中古・MT・スポーツカー(アメ車)
だと思ってた。
シルビアとか、スカイラインとか、RX7とかも、いいなぁと思ったものだ。
ここ数年はMTのSUVがいいとなと思っていた。
昨年の今頃、住宅を選ぶ上で、ある物件を検討したが、(駐車場抽選によっては)
SUVが停められないかもしれないという理由で、候補からはずした。
一方では、BMWの力強くも落ち着いたスタイルにあこがれるようなこともあった。
しかし、そんな自分がなぜ、ここに来てシビックなのだろう。
正直な話、シビックという名前には、つい1-2ヶ月前まで、ポジティブ
なイメージがまったくなかった。
ホンダとか、シビックとか、どちらかというと、「かっこ悪い」というイメージすら
もっていた。
これは、3歳のころから、いや、5歳だったかもしれないが、とにかく、
物心ついたときにまで話は遡る。
ぽっぽぐるま
当時僕は、ハッチバックとか、軽だとか、後ろが丸い車のことを、
「ぽっぽぐるま」と呼んで馬鹿にしていた。これには
理由とかそういうものは、一切ない。
3歳児に理由もへったくれもあるわけない。
買ってもらったミニカーとか、そういうものも影響しているのかもしれないが、
そういう次元の話である。
もう、本能的なものだったのだろう。
当時父が乗っていたのが、黄色い日産サニーであったことも
無視できない要因だと思うが、とにかく自分には、
「ちゃんとした車=3ボックス」という価値感が根底にあるのだ。
そのサニーを母がベンツにぶつけて壊し、
マツダ・サバンナを経て、両親が初めて手にした
新車は、トヨタ・スターレットであった。
そう、「ぽっぽぐるま」である。
僕はぽっぽぐるまに乗るのが少し恥ずかしかった。
父も僕の「ぽっぽぐるま」論にある程度の共感を示していた。
そう、この車は「駐車が楽な車がいい」という母の強い意向により
選択された車であり、父にとっては不本意な決定であったのだ。
(たぶん経済的制約もおおいにあったのだろう。)
僕の「ぽっぽぐるま」に対する蔑みは、このとき
増幅されたのかもしれない。つまり、
「ぽっぽぐるま=(駐車もままならない)軟弱な女子供年寄りの乗り物」
という構図である。男がぽっぽぐるまに乗るのは
恥ずかしいのだという感覚を、父と共有したということだ。
#と同時に、「ぽっぽ車にのる、かっこわるい自分を甘受する」
#経験のなかで「かっこ悪い物に対する理解と配慮と愛」も学んだと思う。
当時、私は、小学生3-4年生ぐらい。
そのころ、世の中にシビックという車は存在しており、そこそこ有名であった。
#1979 スーパーシビック発売 (当時5歳)
#1983 ワンダーシビック発売 (当時10歳)
当然のごとく、当時の私の価値観のなかでその車を測ったとき、
それに張られるレッテルは「ぽっぽぐるま」に他ならない。
確か、親戚のだれかが、シビックにのっていた気がする。
いや、ホンダ・シティだったかもしれないが、
そのあたりは、自分にとっては、おんなじだった。
後ろがまるい=ぽっぽぐるま
この原則は、冷徹なまでに厳密に適用された。
シティもシビックも、おんなじ「ぽっぽ」
つまりどうでも良い蔑むべき存在だった。
#その親戚のおじさんはとってもいい大好きなおじさんだったんだけど、
#この点で「ぽっぽクン」というレッテルが貼られ、尊敬の対象ではなく、
#「せいぜい対等」の存在となってしまった。(ウソ、誇張してますw)
とにかく、私の中でのシビックや、ホンダというものに対する
ブランドイメージの原点は、「ぽっぽぐるま」および「ぽっぽぐるまメーカー」
なのである。(これは、今でも根底に否定しようのない感覚として存在している)
ではなぜ、この「ぽっぽ差別者」は、今シビックを選んだのか。
なぜ、その「ぽっぽ」ブランドに300万円なんていう自分にとっては、
びびっちゃうようなお金を払う決断をさせたのか。
ひとつには、8代目シビックは、(少なくとも国内では)「ぽっぽスタイル」
でなくなったことがあげられる。
2005年9月に発売された新型シビックは、すべてスリーナンバーセダン。
つまり、私の中の生理的「ぽっぽ差別ふぃるたー」をかいくぐることができるのだ。
また、プチ愛国者である私にとって、国産車であることも重要な条件だった。
確かにBMWの3シリーズはかっこいいと思う。が、
プチ愛国者としては、BMWに乗るわけにはいかないのだ。
ていうか、高くて買えないという事情も多分にあるのだが、
そういう考え方は嫌いなのだ。
「金がなくて乗れない」のではなく、
「信条に従い乗らない」。
いかなる場合も自分に都合の良いように大義を作ることの
重要性を私は大いに意識している人間である。
つまり、
「国産の非ぽっぽぐるま」
一言で言えば、これが私の足きり条件である。
このフィルターを通る車は、それこそごまんとある。
なのになぜ、CIVICなのか。
キーワードは「ハイブリッド」
2ヶ月ほど前、家具屋にいったとき、ソファーを勧める年配の
営業マンと雑談をした。ソファーを勧めるはずのその営業マンの
会話は以下のようなものだった。
「プリウスはいいよ~」
「ガソリンぜんぜん減らないからねぇ、」
「維持費がね、ぜんぜん違ってくる」
「260万だったけど、ホントいい買い物だったよぅ」
その他の部分はよく覚えていない。
彼の熱心な営業トークに魅せられ、私の心の中に
「ハイブリッド・カーを買う」という選択肢が生まれた。
#私は彼からソファーを買う決断をすることができなかったが、
#彼に感謝をしている。
その後、インターネットで、ハイブリッドカーについて、
いろいろと調べた。結果、私の購入しうるハイブリッドカーは
以下に絞られたのだった。
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トヨタ:
プリウス
ハリアー ハイブリッド
クルーガー ハイブリッド
クラウン (ちょっとだけハイブリッド)
ホンダ:
インサイト
シビック ハイブリッド
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ぽっぽはいやだ。。。
この価値観は、馬鹿にならない。。
プリウスは、ポッポではないが、あのスタイルは
結構ぽっぽの領域まで足を踏み入れてしまっている。。
クルーガー・ハリアーは、いいと思うけど、400万オーバーは
現実的ではない。
シビックはどうだ。
ぽっぽだとおもってたら、なんか、3ナンバーセダンになってる。。
もう、この時点で、7割内定である。
そして、2週間前、所沢にあるホンダプリモに試乗に行った。
CIVIC HYBRID初試乗
ホンダプリモで見た、白のCIVIC HYBRID MXは、
そこそこかっこよく、見た目は合格点だった。
決して私の心を捉えて離さないというレベルではなかったが、
「この車に僕はのるのかな・・」という仮想前提のもとで見る
その車はなんだか立派でかっこよく思えた。
#「この娘と僕は付き合うことになるのかなぁ」という仮想前提で
#女の娘を見ると、なんだかどきどきが50%UPするのと、
#同じ原理だろう。
#
#こういう概念に名前をつける行為を、私は
#文化的に本質的に価値ある行為だと思うのだが、、浮かばん。
誠実な感じの営業マンにいろいろと話を聞きながら試乗した。
まず軽く驚かされたのが、青く光るデジタルの計器類
「ハイテク・おもちゃっぽーい」
「けど、こういうの嫌いじゃないかもー」
「スペースマウンテーン!」
まあ、そんな印象だ。
そして、赤信号でブレーキを踏む・・
エンジンストップ・・アイドリングしない・・
・・ すごい・・ 静かだよ・・
信号が青になり、
ブレーキから足を離すと、タコメータが跳ね上がる。
0.5秒後、アクセルに足を動かすときには、準備ができている。
毎日乗っている緑の都バスのアイドリングストップとは違う。賢い。。
そして、決め手は、回生ブレーキ!
ブレーキを踏むと、緑色のゲージが、
運動エネルギーを、熱エネルギーとして捨てずに、
発電をして、電気エネルギーに変換していることを伝えてくる。。
すばらしい!!
ブレーキを踏むという行為の口惜しさ
私は、ブレーキを踏むという行為が、本当に嫌いだった・・
ガソリンを燃焼して(お金をかけて地球を汚して)、
せっかく得た運動エネルギーを
赤信号で、ブレーキパッドの磨耗と、熱エネルギーとして、
捨てる(温暖化に貢献してしまう)この口惜しさ・・
友人に話すと、「はは、馬鹿みたい。。理系だねぇ・・」と面白がられる。
私に言わせれば、口惜しく感じない人間は理解不能である。
E=1/2 mv^2
車の1トンを越える質量と、時速数十キロという速度の二乗。
神社の階段をひーひーいいながら登るときに使うエネルギーやら
デニーズのメニューに書いてあるカロリー表示なんて、比にならない
ようなエネルギーが、無駄になるのだ。これが口惜しくなくて
何といおうか。
恐怖・絶望そして希望
学生のころ、よくスキーの帰りに国道17号を使った。深夜のドライブである。
そのとき私は信号の色を以下のように呼んでいた。
「希望の赤、恐怖の青、絶望の黄」
「赤が絶望で、黄色は希望なんじゃないの?」なんていう人もいるかもしれない。
甘い甘い! 私は深夜の幹線道路ドライブでの話だといったはずだぞ。
深夜の国道17号、
周りの大型トラックもタクシーも皆たぶん、こういう思考回路で走っていると思う。
だって、みんなそういう運転なんだもんw
彼らはプロフェッショナルドライバーである。時間・燃費に関して、
非常にシビアな計算のもとで、最適化された運転をしている。
私も当時は、貧乏学生。ガソリン代は非常に大きな経済負担であり
自分の運転を時間のみならず経済性で最適化することにおいて
非常に関心が高く、これは追求したものだ。
まず第一に、抑えておくべき事実。
「車はいったん停止すると、発進、加速に大きな燃料消費をする」
この事実に基づき、いかに止まらないで運転するかが、
プロフェッショナル17号ドライビングの基本である。
前方の信号が赤であるとき、これは「止まれ」の合図であるので、
車を停止させるべくブレーキを踏むのが普通である。
しかし、プロフェッショナル17号ドライビングは違う。
赤信号とは、対向の青い歩行者信号を
じっと見つめながら、スローダウンすべしという意味になる。
そう、やがて起こるある事象に希望をつなぎながら、
近づいてくる赤信号までの距離とのバランスの中で絶妙な
スローダウンを行うのだ。
じっと、対向の青い歩行者信号に目をやる。。
何に希望をつないでいるのか。。
そう、点滅を待っているのだ。
点滅を始めたらしめたもの、あと約10数秒もちこたえることができれば、
停止せずに(=発車時の効率の悪いガソリン消費を伴うことなしに)
信号を超えることができる。つまり、赤は希望の色なのだ。
点滅が始まるまでは、いつ点滅が始まるかわからない、
つまり、不確定要素が多い賭けの世界である。
どれだけ減速すべきなのか、最適解は出しようがない。
しかし、点滅が始まったら場の力学は大きく変わる。
信号が青になるのが何秒後になるのか、予想がつくのだ。
信号までの距離との計算の中で、微妙な加速を始め、
自分の信号が青になった瞬間に
十分な初速度を得た状態でその信号を通過するような運転最適化を行う。
#初速度を一番高めることが都市ドライビングの中で
#一番効果があることがわかっていない人間は非常に多い。
# v=v0+at なわけで、いくら、加速性能が高くたって、
# v0がでかい奴がまずは前に飛び出すわけさ~
#ゼロヨンぽいライバル意識むき出しの、スカイライン君とかを
#この原理を使って、軽くすいーっと抜き去って前に出るのは、
#結構快感である。
#
#ゼロヨン君は、たいていムキになって抜き返しにくるが、それを
#また次の信号で同じ原理で抜いて前に出るのだw
#
#孟穫をかるくあしらう諸葛孔明になった気分になれるぞ
一方、黄信号は、絶望の色である。
100~200メーター先で黄色を見てしまったとき、
これは、停止せねばならない。つまりは、
大きなエネルギーロスをしなくてはならないということが
決定してしまうのだ。 燃費をケチりたい人間にとっては、
その色は絶望を意味するのだ。
青信号は、とりあえずはとまらないでいいゴーサインの色である。
しかし、そのゴーサインの裏には、いつ絶望の黄色が
やってくるのかまったくわからない不確実性が隣りあわせで存在している。。
ぼやぼやしていると、必ず絶望がやってくる。
それは、10秒後かもしれない。 それは、1秒後なのかもしれない。。
それを恐怖といわずして何と呼ぶのか。
青信号が数百メーター先に見えてしまったとき、
私の中に浮かぶ悲壮なる願い
「間に合うだろうか。。ああ、私がたどり着く前に
絶望よ・・訪れないでくれ・・」
恐怖にはスピードで対処である。
恐怖の青が前に見えるときは、100キロオーバーもためらわない
以上、
「希望の赤、絶望の黄、恐怖の青」
お分かりいただけただろうか。
ああ、話がずれてしまった。
ハイブリッドカー ・・である。回生ブレーキである。
そう、何がうれしいって、上記の絶望や、
恐怖がめちゃめちゃ軽減されることである。
つまり、ブレーキを踏むときの口惜しさが、
ちょっとした喜びに変わるということのもたらす効用が
計り知れないといっているのである。
つまり、ブレーキを踏むたびに
「くっぅぅ。。。 口惜しや・・ おのれぇぇ!」という感情を持っていたのが、
「へへーん、おれっちの車は、発電しちゃうよーん
エネルギー捨てるんじゃなくて、あとの加速のために、貯めるだけサ~、
きゅきゅーっと踏んじゃうよーん」
に変わる。これを劇的な変化といわずして、なんというのか。
そういうわけで、シビハイ試乗では、回生ブレーキゲージと
瞬間燃費メータに心を躍らせ、
もう「あなたが運命の人なのね」状態となってしまったのです。
内装色
これは、ハイブリッドの場合、ベージュか、青しか選べない。
#しかもMXBはベージュしか選べない。
計器類の青・黒というトーンに合わせる形の青のほうが
綺麗だと思ったし、自分のテイストにもあうと思ったので、
これは青を選んだ。
(と同時に、MXBを選ぶという選択肢が致命的ダメージを負った)
外装色
これも迷った。
1.フローライトシルバー・メタリック
2.アラバスターシルバー・メタリック
3.スーパープラチナ・メタリック
結局3にしたけど、。。 えっと、長くなるので、あとで書きます。寝ます
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ありがとうー
3月末、戸塚に引っ越した直後ぐらいに
納車予定さー
ういうい
投稿: あるアフォウ人 | 2005年12月17日 (土) 23:26
すっげー!
回生ブレーキすげーーー!!
うーん、キュービックから乗り換えたくなっちゃう。
希望の赤の話、凄くわかるよぉ!
貧乏なほうが真実に近づける気がするよね。
いいなぁ、今度見せてください。
おめでとう!!
投稿: なお♂ | 2005年12月15日 (木) 09:26