カテゴリー「経済・政治・国際」の8件の記事

2009年9月30日 (水)

高速道路無料化反対論への反論

先日書いたように、私は高速道路無料化大賛成である。

反対派の主張の中に以下のようなものがあるが、テレビの中の賛成派(主に民主党議員)が上手く反論できていないのがもどかしい。(ブロゴスフィアでは立派な反論を多々みかけるけど^^)

1.無料化は受益者負担の原則をくずす 
「高速を使う車は全体のなかの非常に限られた一部。
そこだけを優遇するのはおかしい!」という論だ。
これに対して、「いままで2重取りだったのがおかしいのです」という反論をよく聞く。
前の書き込みで「すばらしい」と書いた以下サイトの山崎氏も、いつもそう反論しているようだ。
http://www.yamazaki-online.jp/kaisoron/
正論だと思うが、ちょっと原理が難しいので、一般人の心に響いているかというと、個人的には疑問符を感じている。

もっと簡単に以下のように言ったほうが一般国民の心に響きやすいのではないだろうか。


今までお金がもったいないから高速に乗っていなかった人
(結構そういう人多いでしょ!)は、
今までは受益者でなかったが、無料化になれば受益者になる。
みんなを受益者にするが無料化の肝であり、
「一部の人を優遇する」という論はまったく的外れだ!

まあ、これだけだと、家の近くに高速がない人や車に乗らない人には説得力ないかもしれないけどね。でもそうだとしても、彼らに対しては、物流コストや経済効果云々の話をもってくるのが一番分かりやすい。なぜ2重取りの話ばっかりするのか。。恐らく、多くの国民は2重取り云々いわれても、多分ピンとこないと思うのだ。
   
2.CO2削減の目標と相反する
いわゆる「CO2減らすっていいながら、高速無料化してどうするわけ?矛盾してね?」っていう論だ。
この論に対する反駁として、藤井さんが、就任時にガソリンの価格弾力性の小ささに言及して、「大きな問題にならない」という反駁をしていたが、その後、この論はあまり聞こえてこない。(気がする)

参考:
http://esquire.air-nifty.com/blog/2009/09/post-c94e.html

確かに、一般国民に対する分かりやすさという意味で、僕は価格弾力性だけでは弱いと感じている。というか、価格弾力性の話を聞いても、(僕も含め)「ほんまかいな?」「(弾力性)小さくても、ゼロじゃないじゃん」思うわけで、(経済学を勉強したことのない、またはもう忘れちゃってる、またはそんなものハナから信じてない)大多数の一般人に対して、もうちょっと分かりやすい反駁を表に出すべきと思う。

ここは、どうせハンパなことじゃ25%削減なんか出来ないんだから、
「次世代自動車(電気・水素)の普及に全力を注ぐ」
といっちゃっちゃダメかな?

 (前述サイト、快走論の山崎さんの論を借りてます)

 ・SA/PAへの水素ステーション設置
 ・次世代自動車への助成金
 ・ガソリン税の大幅値上げ

だって、こういう話には夢もあるじゃん。日本の自動車産業の技術力を一気に強くできる。自動車王国日本もインドや中国の激安車登場などで必ずしも前途洋々というわけではないわけで、自動車産業までやられちゃ日本沈没しそうだっていうムードもある。だからこそ、「打って出る」。25%削減って行っちゃった時点で背水の陣なわけでもあるし、「打って出る」系の話は、今支持を得られやすいムードにあると思うのだ。

上記3つ目の「ガソリン税の大幅値上げ」は、暫定税率廃止とかいっている時点で、一見矛盾に見えるのだが、暫定税率の問題は「暫定っていいながら、恒久化していること」にこそあるわけで、個人的には、ガソリン増税は、やっちゃえ、やっちゃえと思ってる。

 #そのほうが、エコ運転のしがいがあるし~
 #それに、ウチ、ハイブリッド車だし~

というか、ちゃんと真面目に、以下のように言えば良いんじゃないの?と思う。
 ・景気がやばい今だけ暫定税率廃止で経済を潤す。が、
 ・景気が戻ったら、環境負荷税として、今と同程度(またはそれ以上)課税する。
 ・CO2は環境負荷税でコントロールできる。
実際、民主党、そう考えてるよね?そのまま言えばいいじゃんと思う。

参考:
http://ajimura.blog39.fc2.com/blog-entry-783.html

3.公共交通がダメージを受ける
フェリーだJRだ飛行機だ・・が、「民業圧迫だ」なんて文句を言うのが時々聞こえるが、そこに対する反論は「ちゃんと配慮する」じゃないだろといいたい。正直、税金で過剰な「配慮」はしないでほしい。

公共交通の企業は、「地域的独占」を許された特別な企業なわけで、完全な「民」ではない。だからこそ、制度上国土交通省の強い管理下に置かれている。この主旨に則れば、公共交通を担う企業は、国民の選んだ政治・政策が「国家の交通のあり方を変える」といっているのであれば、それに静かに従うべきだ。その見返りに「独占による安定」を手にしているのだから

橋が出来れば渡しは廃れ、鉄砲が広まれば刀鍛冶は職業換えしなくてはならない。これは歴史の必然である。ITなど変化の早い業界は、市場ニーズ変化にあわせて「商売替え」含めた劇的な業務見直し(現場にはしばしば痛みを伴う)を日常茶飯事のようにやっている。公共交通を担う企業だって、必死にこの時代の流れについてゆくべく「商売替え」含めた努力をすべきだ。

「急に言われても困る・・」というかもしれないが、「甘えるな」といいたい。そもそも、「高速道路がいつか無料化される」というのは、もともとそういうはずだったのだし、民主党は2003年から無料化をマニフェストにしており、政権交代の気配は数年前からあったのだ。今回の政策を予め予想して対策を立てておくのが企業経営というものであるはずだろう。時代を読めずに変化できなかった企業が痛手を負うのは、他業種では当たり前の話だ

以上、なんだか、民主党議員のもどかしい反論に最近ちょっとイラついているため、ここに書いてみた。
ホント、「ちゃんと無料化やってくれよ・・」と思う。

2009年9月 6日 (日)

高速道路無料化に期待

私は、「高速道路原則無料化」に大賛成である。

先日の選挙では、この部分に賛同するという理由が80%を占める形で、民主党に投票した。
子育て支援も多少うれしいし、自民党にも失望してたが、そんなことは高々投票理由の20%にしかならない。
マニフェスト(の一部)であるこの政策(ビジョン)に賛同したから投票した。

ちなみに私は、今回同様の投票行動を行った大多数の方同様、民主党という党が好きという気持ちはほとんどない。むしろ、「反対のための反対ばかりしている馬鹿なやつら」ぐらいにしか思っていなかった。(特に鳩山氏。菅直人氏は結構好きだけど。。。でも友愛云々の演説を聞いて鳩山氏を少しだけ見直そうかという気持ちにもなっていた。)

なぜ、私は「高速道路原則無料化」に大賛成なのか。理由は、ほとんど以下サイトが説明してくれている。

http://www.yamazaki-online.jp/kaisoron/index.html

ちなみに、世の中で無料化の是非に関する議論が盛り上がっているが、議論することは結構だが、まず、このサイトを読んでからにしてほしいと個人的には思っている。
(月並みな「反対論」にたいする反駁もQA化されている。反対論をする人は、このサイトに反論してくれないと、その論に興味を持てない。)

要するに、
「国のあり方を変え、日本人が本当に豊かになるための第1歩が、この無料化なのだ」
ということだ。

・渋滞するのがいやだ。だとか、
・不平等だ、だとか、
・環境が云々だとか、

そういうちっちゃい視点での反論が最近目に付くが、
(それが世論を支配して民主党が約束を反故にしまいかという不安が自分にはある。)
そんなことじゃなくて、もっとみんな「豊になる」ことを真剣に
考えようよということがいいたい。

僕も、ここで上記サイトに書かれていることを繰り返してもしょうがないので、
「僕個人の想い」という差分のみを以下に書きたいと思う。

とにかく、私は、渋滞が大嫌いだ。

多くの人から時間を奪い、
精神的に荒ませ、
資源を無駄遣いし、
地球を汚す、
この現象をとにかく減らしたい。

渋滞するから反対という人もいるが、
僕は渋滞が嫌いだからこそ、
貧しい交通網のもたらす不便益を強く意識するからこそ、
無料化には賛成だ。

あ、ここを語りだすと、いくらでも語ってしまって止まらないので、
そこはおいておこう。「豊かさ」の話をしたい。。

僕は、高校生のときに、父の米国駐在があり、そこで
米国の豊かな生活レベルを目の当たりにした。
(そのときは高速道路網と生活レベルのつながりを意識できなかったが)

大学入試のために、ひとりだけ日本に残り、
日米社会基盤を実生活の中で対比し、
圧倒的な劣等感(所属する社会に対する)や人生選択を間違ったのではないかという思い(人生を営む場として、日本を選ばざるをえない自分)に苦しんできた。

これを何とかしたい、日本にもっと良い国になってほしい。
こういう気持ちで大学では社会基盤工学専攻した。


実際、今のままでは、
僕は、人生をかけて働いてお金をかせいでも、おそらく、
米国で見てきたような豊かな生活を実現できるような家には住めないだろう。。

並木の整備された、
住宅地の中の十分に広い生活道路から、
数メートルセットバックされて立ち、
(大容量収納としての)地下室があり、
屋内駐車場に自分の車、ドライブウェイに来客者の車が停められ、
週末に家族でちょっとしたボール遊びなどができる庭のある家。

こんな、「当たり前」であるべきことを実現できている家が、
日本では(普通の人では)本当に手に入らない。(たぶん)

都市景観はまるでどこでも、(欧米基準でいえば)スラム並み(発展途上国レベル)。
土地利用が根本から間違っているのが、現代のこの国の姿だと思っている。


大学で社会基盤工学を専攻し、高名な先生の授業を聞いても、感じられたのは、
 「みんな(有識者は)それはわかってる」
 「でも、かわらない、だれも変えられない」
ということ。

本気で日本を飛び出してやろうと思ってたので、留学も留年もした。
とても人生の選択には迷った。
それで、最後には、就職のときには情報処理系の仕事を選んだ。
でも、僕が人生をかけてやりたいことは何かと問われれば、
「日本を美しい国にする(戻す)こと」であることであり続けると思う。

この仕事を選んだのは、ネットやITの力で、例えば仮想現実(3Dゲーム等)などがもたらしうる日本人の美意識喚起や、情報流通がもたらす物流削減・一極集中回避など、そういうもので貢献できることのほうが
社会基盤の分野で自分ができることよりも大きいという個人的結論によるところも大きい。

んで、そういう僕なので、
山崎さんの快走論を読んだら、「これだ!」とならずにはいられないのだ。
(数年前、日系ビジネスオンラインでこの人の記事を読んだときから、「いいこというなぁ」と思っていた。)

高校生のときは、米国の豊かな高速道路網と、
豊かな生活レベルの相関に気付くことが出来なかったが、
快走論を読んで、それこに大きな関連があることに気付けた。


この閉塞感漂う日本を変えるには、
国家百年の計、というよりは10年・20年程度のスパンの
「夢が持てるビジョン」が必要であり、
そのビジョンを語っているのは「彼」(山崎氏)であるということ。
(他にもビジョンを語る人はいるだろうが、
 魅力的であるかという意味で、
 僕は彼のもの以外賛同できるものは知らない)

僕は、民主党というよりは「彼」に投票した。
(彼のビジョンを採用する党に投票したということ)

短期的には、局地的渋滞やらCO2増加なんてのもあるだろうけど、
それらは枝葉であり、いずれ解決が可能なものだ
日本が「美しい国」、世界の中で「恥ずかしくない国」になるために。
我々日本人が「豊かな」生活を送れるようになるために、
本当にその第一歩が「高速道路(原則)無料化だと思う」

高速無料化実現の暁には、
僕も、山梨か南千葉かどこかに300m2 ぐらいの敷地をかって
一度はあきらめかけた「ふつうの家」(米国的基準での)を建てて
そこを終の棲家としたいところだ。

・今の住まいを選んだ基準
https://akio.way-nifty.com/ja/2005/04/post_9616.html
 →僕は、狭い一戸建てに住むことは景観汚しに加担することだと思っていて、
  それで集合住宅を選んだところがある。

・今の車を選んだ基準
https://akio.way-nifty.com/ja/2005/12/post_6573.html
 →渋滞も嫌いだが、同時に、赤信号も嫌いであることを、強く意識している。

2009年2月14日 (土)

神奈川の分煙条例について

私は、結構な嫌煙人間である。

大学生のころ、レストランといえば、デニーズにいくことが多かった。
理由は、当時としては珍しく、分煙をしっかりしていたからだ。
(ロイヤルホストなどは分煙してなかった)

その後、私も人並みに舌が肥えて、
ファミリーレストランではものたりなく感じることが多くなった。
住まいのある横浜市内や、職場のある川崎市内で
自分好みのレストランを開拓したいと、常々思っている。

が、実際はなかなか、それができずにいる。
理由は、「開拓」する類の小さなお店の場合は、
多くの場合分煙されておらず、せっかく料理が美味しくても、
喫煙客の煙で嫌な思いをする可能性が高いからだ。

1年ほど前、買ってきた「湘南カフェなんちゃら」という本を
何気なく読んでいたときに、妻にこういわれた。
 「そんな本読んでもしょうがないよ。
  どうせ、小さい店は煙草で嫌な思いするだけだから・・」
そして、納得して寂しい気持ちがした。
街の中にお気に入りの場所を持ちたい、
それを探す楽しみが、丸ごと無駄な努力なる可能性が
高いことを認識させられてしまったからだ。


その意味で、松沢知事の「分煙条例」の話を聞いたとき、

「やった。これで、(自分がアメリカにいたときにしていたように)
 レストラン開拓ができる」

僕はまず、そう思った。

しかし、今回、そういった小さなレストランからの反対に会い、
松沢知事は譲歩して「小規模店舗は努力目標にしておく」ということで、
事実上の条例対象外にしてしまった。

正直なところがっかりである。
僕はこれからも、小さなレストランにはなかなか行けないし、
開拓する楽しみも、おあずけだ。

条例に反対している小規模レストランさんには、
こういう人もいることを分かっておいて欲しいと思う。

店を禁煙したら来店する可能性のある潜在客という存在についても
ぜひ意識して欲しいということだ。

2007年9月13日 (木)

アベさんの退き方の見方

首相のアベさんがやめちゃうというというニュースを聞きながら色々考えた。

まあ、多くの人が「無責任」という言葉を使っていたが、
個人的には、それも正論とは思いつつも、
自分は彼を「無責任」といって責めるようなことはしたくないなと思った。

理由は2つ。
一つ目は簡単。

いいじゃん! 
だって、やる気なくなったんだろー。
そしたらやめるんでいいんじゃないの?

なんて思う。

無論天下の日本国総理大臣が、そんなお手軽お気楽じゃいけないのかも
しれないけど、彼だって人間なんだしさ・・と思うのだ。

ま、それがひとつ。

んで、もうひとつが本題です。


表現としてはだいたい同じなんだけど、
「続けられない、続けるのがよくないという
 結論に至ったのなら、そのときすぐやめたほうがいい」
というものだ。

自分が特に大事にした視点は、日本という国家なり集団なり民族なりが、
いいほうに行くために、そのリーダー的な位置づけの首相ってものが
どう機能したら効果的かというポイント。

つまり、首相ってなんだっけ、リーダーって何だっけ?
という原点に立ち返って考えたということだ。

簡単なはなし、ダメダメな気もちになってしまって、
国民からもダメダメだと思われちゃった人が、
短期間でノリノリになれるとは思えない。

リーダーはノリノリで国民をノリノリ気分にさせてくれるやつのほうがいい。

だから、もうダメダメムードが臨界値をこえちゃったひとは、
退場して、リセットしたほうがたぶんマシ。


オレは、アベさんの「美しい国」コンセプト大賛成だったし、
やめてほしくなかったけど、まあ、本人が言っている
「もう求心力が回復できない」
という恐れが確信に変わってしまったのなら、
そのときがやめるべきときだと思うのだ。
それが、今日であったから今日やめた。

いいじゃないかと思う。


国をよくしようとこれまで理想に燃えてがんばってきたんだ。
本人だって断腸の想いだったはずだ。

でも、理想から現実がかけ離れていき、
これ以上かけ離れないようにするためには、
自分が身をひくのがベストだと確信してしまった。
それが今日だったんだと思うのだ。

そりゃ、所信表明演説やっちゃった手前、
普通の人なら引くにひけないよね。
だって、2日ぐらいしか経ってないんだもん。
このタイミングでやめるなんていったら、
無責任呼ばわりされてあきれられる
ことぐらい誰だってすぐ予想つく。

でも、そんな自分の評判なんかよりも、彼は国益
つまり彼の理想を優先したんじゃないかなと思うのだ。

普通のひとだったら、所信表明演説やっちゃった以上、
数週間は粘る。
粘って「がんばったけどだめでしたー」とやる。

でも、、
「自分が無責任といわれないようにする」ためだけのために
数週間粘るようなことを、彼の良心は許さなかったんだと思う。
自分がこれ以上がんばっても国家に利益をもたらさず
不利益をもたらしてしまうと確信したのなら特に。

それに「がんばったけど、だめでしたー」というポーズをするための
一要素である「だめでしたー」が、絶対受け入れられないモノだったんだろうと思う。
私は、彼が数日前発した「職を賭してこの問題に取り組む」といった意味はここに
あったのではと思う。

「だめでしたー」にしないためのベストを考えたら、今最悪の
タイミングであっても、無責任といわれようと、なんとののしられようと、
「今やめる。」ことが必要だった。だからそうした。


立派じゃないか。
私はそれこそ責任ある行動なのではと思う。


今回の彼の行動を無責任だとかいう人がいる(多い)が、そういう人に聞きたい。

 ・彼がここであなたのいう「責任」を守ることが国益にかなうのか?
 ・彼がここであなたのいう「責任」を守らないことが国益を著しく損なうのか?

私にはそういう風には見えない。
ただ、「突然やめる=無責任」という良くある公式に
当てはめているだけに思える。

 #無論、そうではない人もいるかとは思うが、

今回、私がこのような考えに至ったのは、
自分のある経験が大きく影響している。

2年前のアメリカでの職場のことだ。
当時このブログにも書いたが、
あるシステム開発がどうしようもない状況になっていた。
 
 ・作ったシステムは動かない
 ・やっと動かしてもテストはことごとくFAIL
 ・直したという報告を受けて再試験してもことごとくFAIL
 ・繰り返し・・
 
そんな状況下で一番ボトルネックになっている部分の担当者が
2週間のバケーションに出かけてしまったのだ。

そのとき私の頭に浮かんだのは、・・・ 
いや、なにも浮かばないぐらい唖然としたけどね。
まあ、「無責任」という言葉である。

しかし、結果はびっくり。

そいつがバケーションに出かけたことで事態は急に進みだしたのだ。
手前味噌ながら、私がそいつのやってたところを急遽引き受けることになり、
たまった問題をバリバリと処理していったので、「どうしようもない状態」は
1週間ほどで解決してしまったのだ。

そいつは確かに無責任だったかもしれないが、
そいつが南の島にバケーションに出かけた結果として
「システム開発のどうしようもない問題」は解決したのだ。

自分の自慢がしたいのではない。 (いや。ちょっとはしたい^^)

どうしようもない状況に対する解として、
「放棄&担当交代」って結構有効だということがいいたいのだ。
 
 1.まず、人が変わることで状況は変わる
 2.それに、そういう状態での後任者はある意味
   極めて良い環境に置かれる。

2について、はこういうことだ。


その放棄してバケーションいっちゃったやつは、相当悩んでいたに違いない。
 「こんな状況、どうにもできない・・」
 「私に力がないから、・・」
 「どうしたらいいんだろう・・・・」
 「きっと、この責任をとらされて今期の評価はひどいものだろうなぁ・・・」
 「ああ、核戦争でも起こってくれないか・・・」

まあ、そんな心理状態だと、解決できる問題も解決できないわけで・・


一方、立て直しに入った私の心理状況はどういう風かというと、

 「まあ、これだけひどい状態なんだ。だめもとってことで頼むぜ・・」
 「よし、ここはオレの腕のみせどころだぞ・・」
 「問題解決したら俺はヒーローだな・・・」
 「評価もAは確実だろ・・・」

まあ、こういう状態だと、120%の力が出るもので・・
 
 #日本に帰ってから、逆の立場もやったので、
 #ものすごく皮膚感覚として感じる。

つまり、何がいいたいかというと、こういうケースでは、
「放棄&後続に託す」というのはマクロに見ると非常に有効な
手段になるんだろうなということ。

次に首相になる人は、やりやすいと思うよー。

年金問題やら政治家の金銭面のだらしなさ問題をぜーんぶ
アベさんが抱えて去ってくれるんだから。

そして、その首相が、やりやすい環境のなかで、
存分に腕を振るえば日本はよりいい方向に進むと思う。

今日のアベさんの勇退は、こういう力学を考えてのことだったん
だろうと自分は信じるし、そう信じたい。
彼は、自分の名誉より、理想の実現を優先した。

小泉さんの「自分がヒーローになる」退き方と、
アベさんの「無責任呼ばわりされる」退き方。

巧いのは小泉さんなのは明白だが、本当に国民・国家のために
なるのは、アベさんの退き方なんじゃないかな。。

 まっ、
 ただめんどくさくなっちゃっただけ
 かもしれないけどねーw
 うひひ^^

PS.ちなみに、アベ首相てどんな字だったっけか?

2007年6月 5日 (火)

JASRACと文化庁とアップル

こんな記事を教えてもらった。

http://applesong.blog8.fc2.com/blog-entry-548.html

詳しいことはよくは知らないけど、

理由2 の部分。すごいな。

 

あっぱれ!という感じです。

 

かんけいないけど このフラッシュおもしろげ↓

http://iiaccess.net/upload/view.php/000901.swf

 

2005年3月14日 (月)

ライブドアvsフジテレビ

友人のブログにコメントを書いていたら、長くなってしまったので
トラックバックにしとく。

日本の不景気も国民の知能低下も「きっかけはフジテレビ♪」

うまい題名だねw

この問題って、ホント
日本と日本人が新しい時代に向けて脱皮できるか、
というところにつながってると思う。

どっちも大人気ないという考え方もあるけれど、
大人気なくドタバタ戦ってるのをみんなが楽しく
見ているのも事実。

やっぱり、こればっかりはヤラセじゃなくて、
双方本気だから見ていて楽しいんだろうね。

僕は、大人気なくドタバタするのが悪いことだとは
思わない。

こうやって関係ない人間(外野)がブログとかで
あーだこーだいうことを馬鹿にする人もいるけど、
自分は本問題にあーだこーだ外野が騒ぐのって
いいことだと思う。

堀江社長は、そのヒントを投げかけてる、 という意味ではものすごく日本人に貢献している。

正直なところ、自分、この件が起こるまで、
M&Aって実際どんなものなのか、株式会社っていうものが
どういうものか、よく分かってなかった。
まだよくわからにけど^^、この件でだいぶ学べたよね。

多分世の中そんな人間が多いと思う。
その点、彼らがドタバタして僕らがわーわー
言うという行為はとても意義があると思う。
だって、なんか言う(書く)前に自分なりに考えるじゃん?
その考えるという行為が大事だと思うのだ。

本ドタバタで、国民の関心事が、フジテレビが
垂れ流しているような貧困・非建設的な話題から、
もっと本質的なものにシフトした。

さらに言えば、みんなが大人気なくドタバタやらんと、
停滞した社会は変わっていかないっていうのが
多分真相じゃないかな。

(アメリカにいると、特におもう。
 こいつら、ホントドタバタしてるし、
 大人気ないって言葉がないんじゃないかってw
 でもその国が現在いつも世界の変化の中心であって、
 日本が60年前、そして現在も跪いている相手なんだよね。)

どちらが正しい云々という視点もそりゃ大事だけど、
いや、確かにそれが一番大事なんだけど、
正しい、正しくないという価値基準が相対的
なものであるのも事実。

僕は、今回の件に対しての人々の反応は、
おしなべてほぼ感情的または、自分にとって
どっちが都合がいいか、そういうものに基づいていると思っている。
実は、自分もそうだ。

でも、だからこそ、
本件に関してどっちをどんな理由で応援するか、
それでその人がどんな人であるかが見えてくる。

 ・既得権益側の人、
 ・新しい時代を望む人、
 ・チャレンジャーホリエモンを応援できる人、
 ・若いのに巨大な力を持つホリエモンをねたむ人、

そして、僕はそれはそれでいいと思う。
むしろそちらのほうがいいとさえ思う。
なぜなら、この問題をみなが「自分の問題」
として認識しているということだから。

もうひとつ、このドタバタが引き起こした良い現象がある。
今回、マスメディアや僕らが「ライブドアvsフジテレビ」という構図で、
まくし立てるおかげで、1年前まで無名だった企業と
国民が誰でも何十年前から知っている企業が

「対等に張り合ってる」

というイメージが共有されたのだ。
このことが持つ意味は計り知れないはずだ。

それは、新しい時代の到来を印象付け、
チャレンジ精神を持ちつつも既存体制の巨大さの前に
二の足を踏んでいた人間に勇気を与えている。
(私は勇気をもらっている!)


マレーシア元首相マハティールの
「日本人よ成功の原点に戻れ」という本を
最近読んだが、その中に印象的なくだりがあった。

しかし、第二次世界大戦が始まると、 日本軍は東南アジアに侵攻し、マレー半島の イギリス支配にピリオドを打った。このことは、 われわれに強い衝撃を与えることとなった。

それまでは、ヨーロッパは無敵であり、
反抗不可能なものと認識されていた。
彼らは途方も無く強く、優秀で、賢かった。
われわれは、月と太陽と星が存在する限りは、
イギリス人はマレーシアを支配し続ける
だろうと考えていた。

しかし、そのイギリスが、粗悪品の代表と
思われていた日本に負けたのである。
この事実はわれわれの認識を180度変えた。
ヨーロッパも負けるのである。

そして、第二次大戦後、東南アジア諸国は独立運動を起こし、
ヨーロッパ諸国の植民地であった東南アジアは現在の
ように独立国家群となったのである。
日本は戦争で敗北したものの、
大東亜戦争の大義は達成されたのだ。(私の解釈)

似ていないか?

彼はわれわれの世代に勇気をくれている。
将来に希望が見えない現在の社会で、不毛な労働を
強いられている人間に、独立という選択肢を含め、
何か行動を起こす勇気を与えているのだ。

僕は彼の信奉者ではないが、その点について
感謝し、そして、日本が変化を遂げる
ためのシンボルとして、自分のため、日本のため、
彼を応援したい。


彼が巻き起こしている旋風の影響力は大きいはずだ。
日本にいないと、よくわからないのだが、、、

いやまて、ネットは世界共通である。
テレビ報道は国境を越えられないが、
ネットがアメリカにいる私にも十分空気を伝えてくれている。

前言を修正しよう。

彼が巻き起こしている旋風の影響力は大きい。

と断言する。
 (私の中にもテレビ=メディアという式が刷り込まれていた
  ことの表れだw 今、私は変化した)

話を戻そう。

彼が巻き起こしている旋風の影響力は大きい。
カイカクカイカク鳴いてるだけという印象の小泉首相と
比較すると彼のしていることの大きさが分かる。

米倉誠一郎「企業家の条件」より

改革といえば、小泉政権の大きな
問題点はシンボリックな改革を
1年目に行わなかったことだ。
細かい部分で個々に良い改革
をやっていても、全体としては
何も進んでいないという印象が
残ってしまう。

とくに不調な時期が長引くいま
のような時代には、シンボリックな
改革を真っ先にやることがいっそう
効果的だ。なぜなら、われわれの
心のなかに日本には改革が
できないという思いが刷り込まれて
いるからである。

このフィーバーはまさにシンボルである。
そしてシンボルはシンボルでしかない。
社会を変えてゆくべきなのは私達ひとりひとりなのだ。

2005年2月15日 (火)

英語教育

日本の英語教育は間違ってる。。とよく言われる。
そうだろうか。

多くの人が言うのは、「使える英語」を教わっていない
ということだ。

が、私は、この問題、どうなんだろう。。と思う。

言語は民族のコアである。
日本人がみながみな外国語を学ぶことは、
どうなのだと思わなくもない。

日本はアメリカの植民地ではない。

だれもかれもが英語を勉強して、
英語できるとかっこいいとかいう価値観が跋扈している
のは、非常によくない状態だと思わなくもない。

日本人は日本語を話すべきである。
日本語で勝負すべきである。

しかし! なぜ英語を学習するのだろうか。

国際化時代だからか?
英語がデファクトスタンダードだからか?

いやいや、まてまて、
国家がデファクトにほいほいついていってどうする。

国際標準言語は国家間の大事な戦略的な
奪い合うべきものではないのか?

本当の本当は、日本語が国際標準語だったら
サイコーなのだ。日本語教えるだけで、お金稼げる。
日本語ネイティブというだけでモテる

議論になったら、相手が一生懸命外国語に
格闘しているところを、一歩も二歩も先で待ち伏せして
叩きのめせる。

国際標準語を勝ち得た民族の得る効用は
はかり知れない。

これは、だれもがわかっていることではあると思う。
でも誰もが口にしないことでもある。

中学生がなぜ、英語を学ぶのか、

誇りある民族がなぜ劣った(^^)外国の言葉を勉強するのか。
いや、外国が優れているからかもしれない。

うーん。それだけか?。。 かもしれない。

いやいやいやいや、 まーてまてまて。

国際標準語の地位は今後とも競うべきである。

学者も英語で論文を書いていることが多いが、
私も卒論も修論も英語で書いたが、それでよいのか?
勝てるのか?

いや、実際勝てていなくて、日本の大学等の地位は
おしなべて低い。特に文系。

工学分野では、日本の学者はそこそこ知られている。
が、文系、、扱うものが方程式や図形やモノではなく、
言語化が大事な文系、、 国際的に競争力がもてるわけが
ないのだ。 英語化でエネルギーつかっちゃってるわりに、
英語的に説得力もつのってすごーい大変だから。

じゃ、どうしたらよいのか。。

ま、だいたいは今のままでいいだろう。

んー。。ええと、なんか、目がつかれてきた。

・・いいたかったこと、一言で言えば、
・・・英語学習てのは、外国語であればなんでもよくって、
さっきの書き込みで書いたようなように、日本語という言語を
相対化するためのものだと思う。それが第1義

オマケとして、世界の人々とお話ができるとか、
そういうことがあるわけだよ。。

そのあたり、「世界の人々とお話ができる」ことを
第1にとらえて学習したり、させたりしている風潮が
おかしいなぁと思うということです。

世界の人々なんて、どこいったって人は人だし、
お話するっていったって、普通、
「ありがとう」「さよなら」「こんにちは」「これいくら?」
ぐらいなわけで、たいした話するわけじゃないんだからさ。。

ていうか、たいした話するのは、今の
学校でやるぐらいの生半可な学習じゃ
ぜんぜんだめなわけで、、

私思うに、コミュニケーション という科目をつくるべき
なんじゃないかな。。外来語だな。。 名前は
もうちょっと考えるとして、日本語・英語・他言語、
マスコミ・電話・イーメール・プレゼン・議論・
いろんなものを総合的にとらえてやってくような科目として

義務教育で外国語、英語以外選択肢ないというのは
なんか、おかしい気がするのだ。

。。 目、もう限界。。
しりきれとんぼだが、以上

2005年1月30日 (日)

我が人格統合プロセス (夫婦別姓に関する意見がまとまるまで)

夫婦別姓を考えるサイト様よりトラックバックをいただいたのを機に
サイトを拝見させていただきました。

大変立派なサイトです。
選択的夫婦別姓の法制化に向けて、賛成・反対いろいろな立場の
意見を紹介しながら、ご自身の「法制化すべし」という立場を
主張されています。

しかし、夫婦別姓に対し、
やや弱めの反対意見、いや、結構強めか?
を持つかもしれない自分としては、
何かいいたくて、うずうずするわけです。

ということで、ちょっと書いてみました。


以下、私の意見です。。
というか、ごめんなさい、言語能力低いので、&
このサイトポリシーにのっとり、

「つぶやき」です

一方的です。すみません。

ということで、はい、こっからさきは、

本サイトのポリシー、
自分に正直に言語化してゆくを
やってきます。

えっと、

意見。。。。


んー。。

「どっちでもいいぽ。。」

ぎゃーーー

意見じゃねぇ。

いや、本当は超反対です。
でも、なんだか、立派なサイトの管理者様が
みてるかもしれないので、「反対」っていえないで、
こまって上記のようにつぶやいている。。のかもしれません。
アハハ。臆病だねこりゃw

はい、正直になりましょう。 これが、すべての出発てん!


正直・・正直・・・


自分結婚するなら、同じ姓を名乗りたいし、
それ相手がみとめてくれないんなら、ダダこねます。コネまくります。
こねまくっても、「私は、この姓でいきたいの!」とかいわれたら、
へーん。「じゃ、お前なんかきらいだー」っていいます。

んで、。。 どうにもならねぇなぁ

たぶん、いろいろソレっぽい話をして、相手説得を試みて、
それにだまされてくれなかったら、スネてみて、
「しょうがないひとね」
「まあ、早く結婚したいし、まいっかと」
とか思ってもらって、いぇいと。。

あー。。 はい、これが個人的な正直なところですなぁ。


あ、別姓ってまだみとめられてないのか?
んじゃ、悩まないでいいや、カンターン
日本社会ありがとう。やっほー


。。


死んでしまえ。。って感じですが、
ホントに正直な意見はこんなもん。 

いやまあ、本問題、自分がどうこうってはなしと、
社会がどうこうって言う話の両方あるわけで、

上記は自分がどうこうって文脈の中で
「別姓いやーん」
と述べてるにすぎませんな。

社会がどうこうって話に関してはどうでしょうか。

はい。そうなっても、私の右向き、
保守的価値観が登場してしまいまして、

その価値観君は、「夫婦別姓などケシカラン」とかいってますね。


あ、別の自我がなんかいってます。

「他のひとのことだから、どうだっていいじゃん。何で強制するの?」
「みんな、それぞれの事情があるんだからさぁ」
「なんで、ケシカランとかいえるわけ?
 そんなこというやつのほうがケシカラナくない?」

。。。さて、面白くなってきました。このへんで、
以前書いた私のLV1-10自我の中で賛
成派と反対派にお出ましいただいて、
議論をしてもらいましょう。

えーと、ラベルがほしいな。

。。賛と反でいっか。


はい。きゅきゅきゅーっと、ちょっと巻き戻して、

よーい、ドン!


反:夫婦別姓など、ケシカラン!
賛:他のひとのことだから、どうだっていいじゃん。
  みんな、それぞれの事情があるんだからさぁ
反:ダメといったらダメだ
賛:なんでさ、真剣につらい想いしてるひとがいるんだぜ
反:そんなことを認めたら、民族堕落・没落だ
賛:んー。ナニソレ
反:本問題は、個人というスコープで考えるべきではない
  こういった問題は民族の勃興という視野で考えねばならん
  それが男の考え方というものだ
賛:んー。。じゃ、意見を聞こうか。
  お前のエラぶった硬直的な考え方に、
  賛成してるわけじゃないから、&メンドイから、
  アイヅチいれないから、ダーーって主張してや

反:フン、いいだろう
  そもそも、えーと、
  ・・
  なんだっけ、

賛:はは、所詮俺ら同じ人間の同じ脳のなかの意識だから
  レベルは一緒じゃのぅ。論理くみたてらんねぇか?w

反:んー。。そだね。
  ちょっと口調かえてみまーす。
  あ、いや、そうすっと、会話っぽくならないので、
  やっぱ、偉そうにはなすわ。。
  ・・ 
  コホン
  ・・
  えー、民族勃興という視野についてだ。
  ・・
  夫婦別姓を主張する人間のいうことはわからんでもない、
  そら、自分が名前名乗りたいように名乗りたいだろう。
  しかし、人間は愚かだ。
  お前のように、愚かだ。

賛:俺か?・・まあ、俺が愚かなわけないので、
   同意はしないが、聞いてやる。

反:短期的な視点で最適化をしているようで、長期的視点では
  非常にまずいことをやっているということが往々にしてある
  または、・・

賛:待った。いいよ。俺もさ、自分は夫婦別姓やだけど、
  なんで、ソレを他人に押し付けるのか、そこにポイント
  絞って話してや。

反:まあきけ、
  それは、さっきいったように、民族というスコープで
  考えているからだ。
  
  国民国家の政治家たるもの、国民を代表し、
  正しい方向に導かねばならない。

  いや、PCはこの際わすれよう。国民=民族でもよい。
  そっちのほうが熱くなれる。

  私の関心事は、日本人・日本国を如何に反映させ、
  日本国民をシアワセにするか。そこに絞られる。

  ここでいう日本国民のシアワセというのは、
  最大多数の最大幸福のことである。

  さて、ではなぜ、夫婦別姓はダメか

  まあ、ここまで言えばあとは想像つくかもしれんが、
  夫婦別姓ー>家庭のコアの弱体化ー>家庭の崩壊確率上昇
 
  という、想定される現象を止めるためだ。

  そもそも、結婚という制度そのものがなぜそこにあるのか。

  以前UCLAの授業で結婚の定義について、
  面白い定義を読んだ。 

  「結婚とは、社会的に肯定的に認知された
   唯一の性的つながりである」

  なんて無機質な定義だと思わなくもないが、
  激しく同意だ。

  だけど、こういう「結婚」ってものが
  なぜ必要なのかかんがえてみると、結婚というものが
  いかに人工的な制度であるかがよくわかる。

 
  たぶん、結婚・つまり、社会が認める性的つながりを、
  現在のような形、つまり、恒久的につづかなくてはならない、
  男1対女1のものとして定義しているのは、そうしたほうが、
  社会が安定するからであろう。

  まあ、これは、鳥が先か卵が先か的ところもあって、
  いや、ダーウィンの進化論てきなところもあって、
  そういう制度でやってきたところ(民族)が、結果として、
  強かった。勝った、生き残った。そうじゃないところに
  真似されるようになった。というのが真相だろう。

  つまり、結婚というのは、人工的制度なわけだ。
  そして、結婚というものは、人工的な制度である以上、もろい。
  しかし、この制度は民族繁栄のために不可欠だ。
  
  となると、この結婚という縛りは、
  人工的にできるあらゆる手段を用いて
  強化せねばならない。 

  そう、
  夫婦同姓強制制度とは、そのためのものだ。
  と私は考える。

賛: ぐぁ。なんやそら。そら、あんた、そんなこと言ってるから
   結婚できないんじゃない?

   ていうか、君、北朝鮮かなんか、
   全体主義国家の人間じゃなくて?

反: いや、お前も俺だろが。。個人攻撃はやめなさい、
   議論のルールだ。

賛: おけ、 わりぃ わりぃ

反: いや、問題は深刻なのだ。結婚という制度が
   いかに大事か。。自分たち(特に男)を
   結婚という制度で縛り付けることが如何に大事か、

   
   そうだ、遺伝子の叫びに忠実な、そこのLV9自我よ、
   ちょっときくけどいいか?


LV9:えーよ
       (遺伝子のプログラムのプロセッサ  立場:無関心)

反: お前は、遺伝子を残すために、なるべく多くの女性に
   子供を孕ませたいとおもっているな?

LV9:アタリマエだろ。

LV4(愛がすべて):ぎゃ、おぞましい。

反:法律や社会の縛りがなければ、強姦でもなんでもしたいだろ?

LV9:アタリマエだ!遺伝子のこしまくることが全てだ!

  まあ、だけど、社会や、法律があるから強姦は
  最適化行動じゃないけどな。そら、いい女
  (繁栄の望めそうな子孫群をのこせそうな感じのする相手)
  がいたら、まあ、あらゆる手段で自分の遺伝子と交配させたいさ。

  正直なところ、ハーレム持ちたいし、一夫一婦制なんて、
  ホントじゃまくせぇよ

反:うむ。なんてアフォだ。。お前には、複数の女性を
  愛しシアワセにする能力なぞないから、まあ
  そのへんですっこんどきなさい!

LV9:ななんだと!ぐぐぐ

LV4(愛のひと。賛成派)
  :おぞましい人間だ。強姦などという、非人道的な行為を
   部分的とはいえ肯定するとは。ヤツは愛というものの
   素晴らしさを何もわかっていない。
   遺伝子を残せないことが不幸だなんて、
   愛を知らないからそんなことをいうんだ。
   まあ、ある意味、かわいそうな人間だね。。

LV9:そうだ、俺は今、すごい不幸だ!

統合者:まあまあ、話がずれた。
     夫婦別姓の是非だ。
  
統合者:まあ、我々というか、下野暁生という人格を構成している
     我々各レベルの自我は、この私という素晴らしい
     統合機能が君たちを管理統制しているから、
     社会の中で生きていけるわけだ。
     LV9なんかを放置したら一発で刑務所と疎外が
     待っている
  
     こんなブログどころじゃなくなっちゃうわけだ。。
     みんな感謝しなさい。

全自我:はーい、従っときマース

統合者:さて、私が選択的夫婦別姓の法制化に反対するのは
     なぜか?

     それは、民族や国民というスコープに照らした場合、
     すべての人格が私のような優れた統合者を持っている
     わけではないからだ

LV4  :意義アリー。 お前何様のつもり?

統合者:俺様です。

LV4 :ぎゃ、理解不能、死ね。。

統合者:選択的夫婦別姓を法制化するということは、
     世に蔓延る、馬鹿女どもに、
     より大きな態度を許すことにな。。

プロデューサ:あ、ちょっとまって、統合者君、君今すっこんでて
        いつの間に出てきたの? 
    
        本企画はさ、各層の統合前の自我にそれぞれ
        自由意見いわせるのが目的なんで。

        それに、統合人格がそんなコトバつかっちゃダメだよ!
        気をつけて!

統合者: はいー (´д`)ショボーン


プロデューサ:はいつづけてー、基本的に、ほら、
       反対派はその線のみぎっかわ、
       賛成派はひだりっ側にたって
       あ、座ってもいいけど、それぞれのグループで
       ちょっと意見まとめてから発言してね。よろしくー。

反:はい(LV2、LV5、LV6)
賛:はーい、ってあれ?俺だけ(LV4)?
反:フフフ、お前に勝ち目はないな。。

プロデューサ:はい、つづけてー、意見述べてー
       数じゃないよー。質だよー

反:話を戻そう。衆愚という概念がさっき出てきた。
  我が国が採用している、
  議会制民主主義のポイントは衆愚政治の回避だ。

  直接民主主義では、愚かな民衆のコックリさんで
  とんでもない結論がでて、国民を、民族を
  破滅に追いやる危険性がある。

  それを回避するために、深い思慮を持った代表者が
  独裁などの暴走が起こらぬよう限定的な権力を持って
  ではあるが、

  国民全体を、法律や警察権力などで
  縛り、正しく、シアワセな方向に導くというものだ。

賛:愚かな民衆って、君何様ですか?
  「俺様」っていう以外の回答をしてください。

反:いや、表現がわるかった。私も(というか君も含めて)
  愚かだ。

賛:そのカッコの中不要です

反:現に、このブログ書き込みの冒頭で、
  統合人格下野暁生は、「どっちでもいいぽー」などと
  いっていたわけだ。
  これが愚か以外の何だね?

賛:あ、それは、そうだねぇ。はずかしい。

反:いや、愚かというよりは、無関心なのだ。

  能力がないのではなく関心がないのだ。

  これは、しょうがない話であって、
  年がら年中、国民をいかにみちびくか考えることを
  全国民がやるのは、決して国民全体として
  最適化行動ではない
  
  これは、上下の問題ではなく、役割の問題である。

  人類を進歩させるテクノロジーについて考え続ける人間が
  法律や国民幸福最適化を考える人間に比べて
  「愚か」であるわけがない。

  ただし、その人間が、たとえば、自分に個人的に関係のない
  「夫婦別姓」という問題について意見をもとめられたとき、
  普段そんなことを考えているわけではないので、
  正しい判断を下せるわけがないわけだ。

  これが、いわゆる衆愚政治というコトバの中で使われる
  愚にあたる。

賛:りょうかいー。そんなら許す

反:さて、話がずれてしまったが、まず、日本国の法律は、
  この議会制民主主義を肯定する立場である以上、
  それに加える修正、つまりは、選択的夫婦別姓を許可する
  内容を加えたりするための権利を持つべき人間は、
  
   ○普段人類進歩のためのテクノロジーについてばかり
考えている人間

  ではなく、

   ○国民全体のシアワセを深い洞察力のもと考えている
    (ことになっている)政治家

  であることが道理なわけだ。んで、実際そうなってる。


賛:んー。。そこのカッコが、すっげー気になるぞ。。
  まあいいや、つづけなよ

反:民族が取る法体系は、いびつであってはいけない
  なぜなら、それでは、弱い、勝てない、生き残れないからだ。
 
  整合性の取れたものであり、民族の繁栄と構成員の幸福を
  真に考え抜いた「方向性」を暗示していなくてはならない。
 
  そして、ここで考えるべきこと。それは、
  現在我々ニッポン国、ニッポン国民が抱える大問題3つ。

   ・人口減
   ・・・ えっと、なんだっけ、財政赤字?
   ・・んー。。 

賛: おーい、1個しかなでないのか?

反:すんません、政治家でもなんでもないので。。 っと

  
  いや、謝ることないか。

  私は、いまここで、表層的な政治の話をしているのではない。 
  財政赤字だの、なんだのは、本質ではない。表層だ。
  そんなの、極端な話税金上げればすぐ解決だ。

  しかし、人口減というのは、由々しき問題だ
  なぜなら、これは民族の本質的問題だからだ。

  この問題はなんとしてでも解決しなくてはならない。
  政治家だけではない、民族の英知を集めるしかけは
  政治だけではない。どんな手段でもよいが、
  民族の英知を集めて、この問題を解決しなくてはない。

  そういった立場で考えたとき、マクロな視点で見たとき、
  夫婦別姓を許すことが良いことだとは思えないということだ。

賛:なんでさ? 論理つながんねぇぞ。
  夫婦別姓を許したほうが、結婚できるひとが増えて、
  子供増えたりするかもしれねーじゃん。

反:これは、さっきから申しているように、
  夫婦別姓>家庭のコアの弱体化>家庭崩壊
  というシナリオが危惧されるからであって、

賛:そんなの、ほんとか?
  夫婦別姓>より多くの家庭の誕生>人口増
  となるほうが現実的だぞ?

反:いや、そこは、そうはならない。

賛:なる

プロデューサ:はい、ちょっと水掛け論だね。
       かーっとかっと。 あ、司会がいないから
       いけないのか、 そこの、無関心自我くん、
       LV0,Lv7,LV8、君たち、役立たずだから、
       司会して

Lv0,7,8(一同):おっけ

LV0: 役立たずってなんじゃー ('~')
    てっかいしてみょー  ('∇')ジタバタ

プロ:おお、ごめんごめん、君は最高さ!

LV0:そだろ?そだろ? うひひ。 おいら、サイコー (´∀`)

LV7&LV8: なんでもいいっす

プロデューサ:はい再開!

司:では、ここまでの議論を整理しましょう。
  賛成派のみなさん、あ、LV4さんだけか。
  まあ、賛成のみなさんの主張は、

  (賛)現法律で苦しんでいるひとがいるんだから法律替えるべき
  
  一方、反対派の意見は

  (反)民族崩壊の危険があるから、変えないべき

  ですね?そして、反対派の一見意味不明な主張のロジックは

  (反)夫婦別姓>家庭のコアの弱体化>
          家庭崩壊>人口減>民族衰退

  そして、それに対する賛成派の反駁として以下が出ています。

  (賛)夫婦別姓>より多くの家庭の誕生>
             人口増>民族繁栄

  では、反対派に聞いてみましょう。賛成派のいっている
  「今苦しんでいる人がいる」に関しては、どのように
  お考えですか?


反: 知らん

司: って、それじゃ、ちょっとあんまりでそ?
   ていうか失礼じゃないですか?

反(LV2): いや、だって、知り合いに苦しんでる人いないから
  
司: あ、ちょっと、LV2さん、ちょっと、それじゃ議論続かないので、
   LV6さん、いかがですか?

反(LV6):はい。私も知らんと答えたのですが、それは、
      そこのLV2とは違う理由によります。

司:具体的には?

LV6:それは、民族という大きな問題を論じているときに、
   個人レベルの話を持ち出すべきでないという意味です。

  私の関心事は国民幸福の最大化です。
  ですので、確かに、
  不幸な方がいるというのは、見過ごせない問題です。

  しかし、ここで、私はマクロに考えるのです。

  夫婦別姓を法的に認めるということの持つインパクトは
  別姓を名乗りたい人々をシアワセにする一方
  別姓に様々な理由で反対する人々をちょっぴりずつでしょうが
  不幸にします。

  たとえば、わたし、というか、統合人格下野暁生も反対する
  人間の一人ですのでそれを例にとって考えて見ましょう。

司会:わかりました。では、せっかくですので、

   統合人格に登場してもらいましょう。
   
統合者:いいこというねぇ。 

     夫婦別姓が認められると、選択肢が増えます。
     決断しなくてはならないことが増えるわけです。

     これはコストです。冒頭で書いたように、
     もし、選択肢があると、結婚するときに、
     相手に、「姓かえたくなーい」ってゴネられる可能性が
     高まるわけで、
     
     そうすると、そいつに対して、様々な手段で
     説得するのがメンドイよね。

司会: なるほど。 しかし、 下らないですね。
     いってて恥ずかしくないですか?
     本気で、思い悩んでいる方に向かって、
     そんなこといえますか?

統合者:・・ んー、いえません。

LV6: まってください!

司会: はい。どうぞ

LV6: 私のいいたかったのは、そこです。
   
   たいしたコストではないにせよ、夫婦別姓が認められると
   統合人格私のようなダメ男が、これまでのような形の結婚を
   したいときに、払うべきコストがちょっとだけど増える。。と
   
   たいした強い主張でないにしろ、
   思っている人間(ダメ男)が、たくさんいるということです。

   「たくさん」というのは、推測にすぎませんが、
   でも、たぶん、世の男性の殆どは
   このように、「ちょっとだけだけどメンドクサクなりそう」
   だなぁ、と思っていると考えられます。

   ここで、国民最大多数の最大幸福の原理に照らすと、
   夫婦別姓を認めるということは、多くの男性に
   「ちょっと面倒」というコストを強いることになるのです。
   
   ひとりひとりは、ちょっとでも、積分すると、
   すごいエネルギーになります。

司会:なるほど。

反: そうだそうだー、 めんどくさいから
    いまのままでいいぞー

賛: 待ちなさい! あなたたちは、それでいいんですか?
   困っているひとを見殺しにするのですか?

LV2: そうだそうだー。みごろしだー、みごろしばんざーい。
    あははのはー
    おいらは、俺がめんどくさいのは、いやなんだー
    他人なんかどうでもいいやー

賛: 。。。 お話になりません。。。

司会: あ、LV2さん、一応、公開のブログなので、
    ちょっと表現を控えてください。

LV5: そうです。見殺しというコトバはよくありません。
    なぜなら、そんな物騒なコトバを使うべきような重大な
    問題ではないからです。

    本問題は、基本的人権に関わるような重大な問題では
    ないのです。

   夫婦別姓が認められないからといって、死ぬわけでは
   ないわけです。

   事実婚やらなにやらという概念がありますが、
   法律で国家に認定してもらえなくても、つまりは、それは
   そこそこのコストを払いながらということには
   なるでしょうが、実体としての夫婦別姓婚は現在でも
   可能であり、彼らだってシアワセにはなれるわけです。

司会: なるほど。

賛: まった! 議論が少々おかしいです。

  私は、最初から、本問題を生死に関わる問題だとは言っていません。

  が、LV6さんのおっしゃるその、「夫婦別姓婚をしたい方が
  払わねばならないコスト」が、本当に道理のかなった、
  必要なものなのかということ。
  
  そこは考えるべきです。

  道理にかなわない無意味不可解なコストをはらうことを
  強要されているひとがいるとすれば、それを改めることは、
  国家・法律・という、LV5さんのいう民族(≒国民)を
  シアワセにするための、大事な進歩なのではないですか?

LV5:確かにそういう側面はあります。定性的にみれば、
   夫婦別姓を法的に認めるという"DoSomething"をすることで
   シアワセになるかたがたもいらっしゃる。
   
   しかし、問題は定性的な基準での判断ができるような
   簡単な問題ではないのです。
   
   そこに、選択肢が増えることを面倒だと感じる人間が
   少なからずいる以上は、これらの人の不幸とのトレードオフを
   定量的に見積もって、判断をせねばならない。

   確かにこの定量化というのは、不可能なわけですが、
   いい加減ながら私なりに定量化すると、、いえ、
   私が男であるというバイアスは多分にかかっているでしょう。
   しかし、私なりにしか定量化できませんが、定量化すると、
   最大多数の最大幸福のためには、”DoNothing”である
   法的に認めないという現状維持こそが、現在のところ
   最適解だと考えるわけです。

賛:なるほど。その定量的判断に同意するわけじゃないですが、
  本論はしません。。

  しかし、あなたは、
   つまり、多数の人間の無関心によって、
   真剣に思い悩む個人が圧殺されてよいといってるのですね。

LV5: そういう表現をされると、はい といは言いづらいですし、
    ここで「はい」という回答をすることは、人間として正しいとは
    思えませんが、「いいえ」と私はいうことができません。

    なぜなら、私には最大多数の最大幸福という使命があり、
    ときには嫌われ者になってでもこれまっとうせねば 
    ならないからです。


賛:残念です。

LV6: いや、それだけではない。 
    LV5は最大多数の最大幸福といっているが、そこでいう
    最大多数というのは、歴史的文脈で捕らえなくてはならない。

  現在生きている日本人がシアワセであるかどうか
  などということは、大事ではあるが、
  法律という国家のコアを考える当たっては、
  スコープとして狭すぎる。

  中曽根さんが憲法改正論の中で仰っていたが、

  (政治屋ではない)政治家という、国家の代表、国民の代表
  リーダたるものは、、、 いや、 憲法というものはと
   いっていたか。。  まあいいや。

  とにかく、現在の日本人のシアワセだけでなく、
  未来の日本人の幸せ、過去の日本人の名誉、
  こういったものを全て含めて、最適化しなくてはならない。
  と考えるわけだ。

  このとき、夫婦別姓などという議論は、
  米国のような実験的、契約国家ではなく、
  日本国民(≒民族)をコアとした国民国家である我が国では
  到底みとめられるべきものではないということだ。

  確かに、現在政治屋たちの議論は、非常に薄いようだ。

  また、数少ない立派な政治家も、説得力のある
  反対意見を述べられないのは言語化能力が私のような素人と
  同じぐらい低いからだろう。

  このあたりは、国語教育を改革してゆくべ。。

統合者: あ、話ずれましたね。
     よし、このへんで、500行こえてしまったので、
     お開きにしましょう。 人格LV8さんが、
     おなかすいたと、非常に強くうったえています。

     腹が減っては、生命維持の危険がありますので、
     速やかに本議論を収束させ、ごはんを食べましょう。

司会: わかりました、最後に統合者さん

     今回の議論で何か下野暁生という
     我々の住む人格における統合としての
     本問題に対するポジションは変わりましたか?

統合者: いや、集計をとりますと、
      そうですね、以前より賛成側に振れたものの、
      統合結果としての反対の立場としては、
      かわらないようですね。

     LV0 :棄権 (無関心)
     LV1 :棄権 (無関心)
     LV2 :反対 (自分男だから)
     LV3 :賛成 (せっかくトラックバックいただいたんだし)
     LV4 :賛成 (人道的見地)
     LV5 :反対 (民族最適でない)
     LV6 :反対 (民族最適でない) 
     LV7 :棄権 (無関心)
     LV8 :棄権 (無関心)
     LV9 :棄権 (無関心)
     LV10:棄権 (無関心)

   ということで、統合人格下野暁生の立場としては、
   これまで同様、以下を採用してゆくこととします。

      ・俺個人:おいらは夫婦別姓ぜったいいや
      ・法制度:法制度もかえるべきではない


司会: なるほど、では、最後に夫婦別姓資料館の方に
     何かメッセージはありますか?

統合人格:

   こんにちは。もし、こんな駄文をここまでよんでいただけたら、
   それだけで、感謝&申し訳ない気持でいっぱいですが、、   

   私は、本問題に関して、統合人格としては、
   あなたと相矛盾する価値観思想を掲げています。
   ただ、本問題に大して、真剣に取り組んでいる
   あなたの姿勢には大きな敬意を感じるのを禁じえません。
   
   今回、自らの自我の中には、あなたの価値観に対して
   賛成する部分自我があること、そして、それが、
   全体自我統合のなかで、いかにして'敗北'し、結果として
   私が統合人格として、「反対」の立場を掲げてしまっているか。
   それを書いてみました。

   もし、お読みになり、それなりのリアリティを
   感じていただけたら、

   そのときは、あなたの戦うべき敵の1サンプルとして、
   選択的夫婦別姓法制化に向けた、戦いに役立てて
   いただければと思います。

   私が思うに、最大の敵は、政治家でもなんでもなく、
   投票権を中途半端に与えられた、私ような「ダメ男」
   だとおもうから。。  上手に転がしてください。

  
司会:はい、お疲れ様でした。
   やっと、統合できましたね。
   めでたしめでたし。

メシ食うべし!

Haruya's Violin

2023年2月
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